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火曜日

西洋の思想




ゼノンの世界観について


 火曜日は、西洋の思想です。今日は、ゼノンの世界観について考えます。ゼノンという人物は、古代西洋の、紀元前三世紀頃に活躍した人物です。ストア主義の開祖である人物として有名です。
 ゼノンの世界観というものは、唯物論主義の世界観であったということです。世界は物質的な存在であると考えるのです。世界に存在する、全部が物質的な存在である、と考えるのです。物質的な世界こそが、実在的な世界であるのです。
 ゼノンは、物質的なものを実在と考えるのです。実在とは物質なのです。そのため、実在的な世界とは、物質的世界なのです。つまり、物質を離れた世界は、非実在的な世界であると考えられるのです。ゼノンはそのような唯物論主義を、一貫して主張します。世界の全部が物質的であるのです。世界の全部が物質です。それは、人間の感じることのできるものの全てが含まれているのです。つまり、「目に見える世界だけが、物質的な世界である」と考える唯物論ではないのです。ゼノンは、心の世界についても、物質的であると考えるのです。心や精神というものも、それが実在であれば、物質的であると考えるのです。実在の世界は物質的であるのです。その実在の世界の中に、心や精神も存在するわけです。そのため、心や精神なども、物質的な実在世界の中に存在する、物質的な存在であるのです。つまり、世界は物質であり、自然界も物質であり、精神の世界も物質であるということです。ゼノンから考えれば、物質と精神との対立などはないのです。物質と精神も、両方、物質なのです。
 ゼノンの唯物論主義は、神の存在についても考えられています。ゼノンは神の存在を信じています。神は実在する存在です。そして、その神の存在も、ゼノンは物質であると考えるのです。人間の精神も物質であり、そして神も物質であるのです。世界全体が物質なのです。この世の中の、宇宙や自然や、心とか神なども含めた、実在する全部が、物質であるとゼノンは考えるのです。ゼノンの唯物論では、物質と精神との対立などを考える必要はないのです。精神の存在も物質に含まれるのです。
 それでは、そのような唯物論者のゼノンが考える、「神の存在する世界」とは、どのような世界なのでしょうか。人間の住む世界と、神の住む世界とは、別々に存在すると考えるような世界観なのでしょうか。この世界とは別の場所に神が存在すると、ゼノンは考えるのでしょうか。
 ゼノンは、世界の中に神が存在していると考えます。人間が生きている世界の中に、神が物質として実在しているのです。人間の世界と、神の世界とは別々の世界ではないということです。そしてまた、神は世界の中に存在しているのですが、しかし、神は世界を存在させてもいます。神は世界を存在させながら、世界の中に存在しているのです。神は役割を持って、その役割を果たしながら世界の中に存在している、ということです。しかしまた、神が世界を構成する役割を持って、世界の中に存在しているのではあるけれども、世界もまた、神を構成している、とゼノンは考えるのです。そして、ゼノンの考えでは、神は世界の中を流れる精神であるような存在と考えます。神が世界の中に、精神として流れているということです。つまり、ゼノンの考える神は、世界のあらゆる場所に存在しているのです。実在する物があれば、神もそこに実在する、ということです。神が流れているのです。そのような神は、世界の魂なのです。世界の存在の源です。神から世界が湧いて出ているのです。そして、神が世界の中を流れているのです。つまり、神とは、自然法則であると考えられるのです。神とは、「自然法則」、「世界の摂理」、そして、「運命」、という考えと同じなのです。そのような神が、世界を動かしているということです。神が世界の中で活動しながら、世界を神が動かしているのです。この世界全体が神であるということです。この世界のあらゆる所に神が存在するのです。神とこの世界とは離れて存在するのではなくて、世界が神と一体となって存在している、ということです。
 それは、人間についても考えられることです。人間と神との関係についても、同様のことが考えられます。人間という存在の中にも、神が流れている、ということです。世界の全体の中に神が流れているのですから、人間の中にも神が流れていると考えられるのは当然のことです。神の存在を、自分から離れて存在するものと考えてはならないのです。ゼノンの考えでは、この世界が神なのです。そうであれば、人間も、ある種の神であると考えられるのです。全員の人間の中に、神が実在している、ということです。そして、世界の全部が神なのです。
 ゼノンの世界観は、唯物論主義です。しかし、なぜ、唯物論者のゼノンは、自然法則の精神を神であるなどと、考えることができるのでしょうか。物質というものを考えれば、通常は、精神とは異なる存在であると考えるものです。なぜ、精神を物質であるなどと考えることができるのでしょうか。
 それは、ゼノンが「火」を考えるからです。「炎」です。火のことを考えれば、精神も物質であるという考え方を理解することができます。火も物質であると考えれば、精神も、物質の火のような存在であると考えられるわけです。精神を「火」であると考えるのです。そのように考えれば、現代人も、ゼノンの唯物論を納得できるはずです。
 ゼノンの唯物論主義は、ゼノンの世界観とも結びついているのです。ゼノンは、世界を、火に始まり、そして火に終わるものと考えているのです。ゼノンの唯物論は、「唯火論」とでも名付けられそうです。世界の始まりは、火だったということです。そして、その火から、土や水などが発生したということです。そのようなゼノンの考え方にも、一理あるのかもしれません。一理どころか、深い真理が含まれているのかもしれません。なぜなら、「太陽」という存在があるからです。太陽の炎がなくなれば、地球の自然環境などは維持することはできません。太陽から植物が生まれて、そして植物から土や水が発生することは、現代の科学でも考えられることです。つまり、太陽という火が、地球の土や水を作っているのです。それはゼノンの考える通りです。そして、地球の自然から、人間の精神も生まれていると考えられます。その地球の自然を作ったのは、太陽であるということです。つまり、火から世界の全体が生まれているのです。世界の根本は、火なのです。そして、火は物質であるので、世界の根本も物質であると考えられるのです。それは、地球と太陽の関係を考えれば、理解もできるのです。地球の生物の誕生には、太陽の存在は欠かせません。








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