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土曜日

現代の思想




ヴェーバーの「学問」について


 土曜日は、現代の思想の日です。今日の題は、ヴェーバーの「学問」について、です。ヴェーバーは、『職業としての学問』の著者として有名です。
 ヴェーバーの考える「学問」は、「科学」の意味に近い内容を持っています。日本語の訳としては、「学問」と訳すよりも、「科学」と訳した方が、原語の意味により近くなります。ヴェーバーは、「科学」のことを考えています。
 ヴェーバーは、科学に対して、事実を研究する行為であると考えています。科学には、事実と価値の問題があるとヴェーバーは考えています。科学は、事実を第一番に考えるべきであるとヴェーバーは主張します。科学は、現実世界の事実を対象に研究を行うものです。科学には、価値を差し入れてはならないのです。ヴェーバーは、科学において、「価値からの自由」を主張しています。科学を研究する際には、課題を設定する必要があります。その課題の設定の際には、自由な態度が求められます。研究の課題を自由に設定できることが理想です。課題の設定に価値を考えて、自由に課題設定ができない状況は避けるべきです。研究課題は、自由に決めるべきです。また、「価値からの自由」は、研究内容に対しても考えることができます。科学の研究内容に対しても、科学者の価値観を含めるべきではありません。科学の研究結果が、科学者の価値観に左右されてはなりません。科学の研究は、事実のみを追究するべきです。研究結果が、科学者の持つ価値観に反していたとしても、科学者は、どのような研究結果も受け入れるべきです。科学者は、研究結果を事実として受け入れなければなりません。研究結果に対して、科学者は価値を含めないように注意すべきです。つまり、科学者は、研究を進行させる際には、価値観から離れている必要があるわけです。科学者は、科学の研究の際には、「価値からの自由」を念頭に置くべきなのです。
 科学者も人間です。人間は、人それぞれに、価値観を持って生きています。人間は、個人的な信条や、世界観を持っています。科学者の場合も、当然、それぞれの科学者によって、異なる世界観を持って生きていると考えられます。科学者も人間であるので、個性があります。個性は、それぞれの人間の持つ、価値観によって左右されます。人間には、価値観の種類だけ、個性の種類を考えることができます。全く同じ価値観を抱いて生きる人間は存在しないものです。全く同じ価値観を抱く人間は、世界の中には二人と生きていません。人間の数だけ、個性と価値観の種類を数えることができます。科学者の場合も、科学者の数だけ、価値観の種類を考えることができます。しかし、科学の研究の際には、科学者の価値観を研究内容に反映させてはなりません。科学の研究の際には、科学者は自分の持つ価値観から離れて、事実の追究だけを考えるべきなのです。科学は、人間によって研究されるものです。人間は、人それぞれで、異なった価値観を抱いています。科学の研究は、事実に対する研究です。人間の価値観は、科学の研究の対象とはなりません。科学は、価値を研究するものではありません。科学の研究の範囲は、事実だけに限られています。科学者には、事実を尊重する態度が必要です。科学者は、自分の勝手な判断によって、事実を曲げることがあってはなりません。
 つまり、科学には、事実を歪曲させる問題を考えることができるのです。人間は、事実を素直に受け入れない場合もあります。事実を受け入れられない人間がいます。事実を受け入れられない人間は、少ない数ではありません。事実を拒絶する人間の数は多いものです。事実を直視しない性質を人間は持っているものです。事実を受け入れる場合、自分の感情を害されることがあります。事実が自分の感情を乱すのです。その場合、人間は、事実よりも感情を重視することがあります。感情を重視した場合、事実が歪曲されることになります。人間は、感情を持って生きています。そして、人間は自分の感情を乱されることを嫌います。そのため、事実が自分の感情を乱す場合、事実を受け入れないことが人間にはあります。それは、現実を客観視できない態度です。人間が感情的になる場合、現実を主観的に考えるようになります。主観的な見方は、自分の価値観を入れています。
 事実を事実として扱うことは、人間にとっては案外難しいことです。人間は感情を持ちながら生きています。感情は、人間にとって大切な部分です。そして、事実も人間にとっては大切な存在です。人間は、事実を大切にしながら生きています。人間にとっては、感情も事実も両方大切なのです。しかし、事実が人間の感情を乱すことがあります。人間には、認められる事実と、認められない事実とがあるものです。全ての事実を受け入れられる人間は少ないのです。人間には、受け入れられない事実があるわけです。それは、人間が価値観を持っているからです。価値観を人間は持っているので、受け入れられる事実に許容範囲があるわけです。人間は、自分の価値観の許容範囲の中で事実を受け入れているのです。自分の持っている価値観が、事実を受け入れないこともあります。自分の価値観が、事実を受け入れる態勢を整えていないのです。人間は、全ての事実を知っていません。世界中の全ての事実を知っている人間は存在していません。人間が知っている事実には限度があります。人間の知識は有限です。そのため、未知の事実に対しては、その事実を受け入れられない場合を考えることができるのです。
 科学の研究には、発見があります。発見とは、未知の事実を知ることです。人間には、自分の知らないことがあります。科学の研究によって、人間は未知の事実と遭遇することになります。科学者の仕事は、未知の事実を発見することです。未知の事実を発見することが、科学者の業績です。科学者も人間であるので、知識は有限です。そして、科学者には、個人の価値観があります。そのため、科学者によっては、科学の研究結果を受け入れられないことも考えられるのです。人間が、未知の事実を受け入れないのです。人間の知識も価値観も、有限です。つまり、人間には、何事にも限度があるわけです。人間の受け入れられる物事に対しても、限度を考えることができます。それは、有限の存在である人間の持つ宿命です。存在する事実には限りがありません。人間の方は有限です。事実の方には限度がありません。人間に知られている事実の数は、事実全体の中の一部分です。事実の全体の中から、人間は一部分を知るのみです。人間には、知られている事実の数よりも、未知の事実の数の方が多いのです。
 つまり、人間は、毎日、未知の事実と遭遇しながら人生を送っていると考えられるのです。人間は、毎日、未知の事実と出会っているのです。人間の人生は、未知の事実との出会いの連続です。毎日、人間は事実を発見しながら生きています。発見には、驚きがあります。驚きは、自分の価値観では受け入れ難い事実に、人間が出会う場合に起こります。驚きの度合いが大きければ、人間は精神的に不安定な状態に陥ります。発見と驚きとは、人間に同時に訪れるものです。驚きの度合いは、過剰であってはなりません。過剰であれば、人間の精神に負担をかけます。未知の事実の発見が、人間の精神に負担をかける場合があるわけです。負担のかかる出来事からは、避ける対応をとるべきかどうかを考えなければなりません。科学者の場合は、未知の事実に立ち向かうことが仕事です。科学者は、自分の研究している、驚きの対象を避けることは許されません。科学者には、度胸が必要なのです。科学者は、人間を驚かせる事実から、目を背けてはなりません。科学者には、どのような事実も受け入れる態度が求められます。ヴェーバーは、外界の事実の方よりも、人間の持つ価値の方を優先させる科学者の態度を否定しています。科学者は、自分の内面を大切に考えるよりも、外界の事実に目を向けるべきなのです。








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