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月曜日

日本の思想




立花宗茂という人物について


 月曜日は、日本の思想の日です。今日の題は、立花宗茂(むねしげ)という人物について、です。立花宗茂は、豊臣秀吉と、徳川家康の時代に活躍した人物です。
 立花宗茂は、戦国時代を生き抜いた名将です。立花宗茂は、戦国時代を生き抜き、そして、徳川幕府の時代まで、人生を全うすることができました。豊臣秀吉の時代の「戦国時代」とは、その言葉通り、戦国時代だったのです。戦国時代の中では、農民の人生も、確かに苦労の人生であったのかもしれませんが、しかし、戦を行う当事者の中の、大将の人物であれば、命の危険性は非常に高いものです。戦国時代の中で、一番危険な人生を歩む人物が、大将なのです。そして、立花宗茂は、大将であった人物です。戦国時代の中で、大将として生きることは、大変危険な人生です。大将の身分では、戦国時代の世の中から、逃げも隠れもできません。大将として合戦に出た以上は、自分の立場から引き下がることができません。もしも、一度でも合戦に出た大将が引き下がり、農民の人生を選んだ場合には、大将に命を奪われた人の遺族たちから、大将は命を狙われることになります。大将は、自分の身分を引き下がれないのです。引き下がれば、戦った相手の遺族の、敵討ちに遭います。つまり、大将の人生は、生きるか死ぬか、なのです。戦国時代の世の中では、大将の人生を選ぶには、大きな覚悟が必要なのです。大将は、戦争の責任者なのです。責任者は、戦争の結果の責任を問われるわけです。責任逃れは許されません。つまり、大将は逃げられないのです。大将の下で働く、戦国武者であれば、大将よりも、責任逃れができる可能性は残っているものです。しかし、戦国時代の大将は、国内には逃げ場所はありません。指名手配される中で、名前を変えたり、変装したりしながら、逃亡人生を歩むことが、大将から引き下がった人物に残された道です。指名手配の中で、逃亡人生を歩むことは、つらいことです。そのような人生を拒否するのであれば、大将は、大将としての実績を上げなければなりません。立花宗茂の場合は、戦国時代の中で、大将としての人生を生き抜いた人物です。つまり、立花宗茂は、大将として優秀だったのです。では、立花宗茂は、どのような心構えで、大将を務めていたのでしょうか。
 大将は、合戦で相手と争うために、兵法を身に付けている必要があります。立花宗茂の場合も、大将として、兵法を身に付けていました。そして、立花宗茂は、数々の実戦を経験しています。立花宗茂の兵法は、実戦においても通用することが証明されているわけです。兵法も、実戦で通用しなければ、役に立たないものです。役に立たない兵法を身に付ければ、実戦において命を落とすことになります。しかし、実戦経験のない人物では、どのような兵法が役に立つ兵法であるのか、推測できません。そのため、実戦の体験に基づいた立花宗茂の兵法であれば、確実に信頼することができます。立花宗茂は、数々の実戦をくぐり抜けた人物なのです。しかも、戦国時代の大将です。その大将の兵法の教えを守っていれば、絶対に確実です。立花宗茂の兵法さえ知ることができれば、戦国時代の世の中であっても、人生を生き抜くことができるのです。
 そのような、数々の実戦体験を持つ、立花宗茂の兵法として、重要な内容は、「仲間との信頼関係」です。それは、戦国時代の大将の兵法です。そして、戦国時代の中で、没落した大将の兵法ではありません。危険極まりない戦場を生き抜く兵法が、「仲間との信頼」です。つまり、友情の力です。友情の力がなければ、合戦に負けてしまうのです。戦国武将が、実戦の体験に基づいた上で、仲間との信頼関係を大切にするべきことを主張するのです。そのため、その主張は信用に値するものです。実戦の体験の、全然ない人物が、仲間との信頼関係を強調するのではありません。立花宗茂の場合は、戦場での実体験があります。その立花宗茂が、兵法の極意として、仲間との信頼関係を重視するのです。そのため、戦場の中では、仲間との信頼関係が、特に重要なものであると、考えられるのです。信用が力である、ということです。
 戦場では、武力が最も重要であると、一般の人々は考えるものです。武力さえあれば、戦争では相手に負けることがないと、考えるのです。その武力とは、肉体的、物質的な武力のことです。兵士の体と、武器の数が多ければ、それだけ武力があると考えるのです。つまり、一般の人々は、数字で判断するわけです。数字の多さで武力を計測するのです。数字が低ければ、武力は低いと、考えるのです。数を増やせば、武力の強さと直接に結び付くと考えるのです。しかし、立花宗茂は、数字では計測することのできないものを、実戦において重視するのです。「信用の力」というものは、心の力です。心の力は、数字では計測することができません。そのような、数字では計測することのできない能力が、武力の向上に結び付いているのです。精神論によって、戦場を生き抜くのです。
 つまり、戦場においては、精神論が生死を分けるのです。人数の多さや、武器の数や、食料の多さなどと共に、精神論が重要なのです。そして、その精神論の内容が、「仲間との信頼」なのです。立花宗茂の大将としての心構えは、自分側の兵士たちと、信頼関係を築くことなのです。立花宗茂は、戦国時代を、仲間と信頼関係を結ぶことで、乗り越えたのです。立花宗茂の軍の強さの秘訣は、仲間同士が、信用の力で満ちていたからだったのです。組織の力は、総合的なチームワークの力である、ということです。連携プレーができなければ、強いチームにはならないのです。人間の一人の力には、限界があるわけです。強い人物も、弱い人物も、人間の力としては、大同小異なのです。強さが傑出した人物の能力であっても、他の人間と大同小異の能力なのです。そのため、組織としての力を重要視する観点から、個人の力を見なければならないのです。組織の中で、個人が個人的に能力を発揮したのであっても、強い組織の力とはなりません。しかし、仲間同士が、信頼の心でつながり合えば、個人の力が、組織の力として生かされます。つまり、人数の多いだけの、個人同士に連帯感のない組織の力は、弱い、ということです。個人と個人を、いかに結び付けるのかが重要な点です。立花宗茂の軍は、メンバーの心が、つながり合っていたのです。団員に連帯感があったのです。
 つまり、個人の能力を超えることが求められるのです。個人と個人の間に、信頼関係がなければ、その場合は、武力を数字で計測できるのかもしれません。個人と個人の、信頼関係を重視しない武力であれば、人数の数の多さが問題です。個人的な能力を寄せ集める武力では、数字で計測されるのです。信頼関係がなければ、能力を数字で計測できるのです。個人と個人が、心と心で結び合っている場合、その能力全体を計測することはできません。数字では計測できない、得体の知れない能力が出現しています。そのような、得体の知れない能力が重要なのです。その能力は、機械では発揮することができません。心の力は、機械には備わっていません。心の力は、動物では、哺乳類に備わっているものです。哺乳類では、親と子の心の絆や、夫婦の関係などを考えることができます。つまり、団体の総合力を、個人同士の信用の心によって、高めることができるのです。機械の場合では、能力が数字で判断されます。極度な個人主義の団体の能力は、機械の場合に近いことがあるのかもしれません。








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