木曜日
東洋の思想
『小学』の「成立覆墜」について
木曜日は、東洋の思想です。今日は、『小学』の「成立覆墜(ふくつい)」について、考えます。『小学』という書物は、朱子と、その門人たちが、名言を集めて編集した書物であるということです。『小学』は、名言語録の本であるのです。
「成立覆墜」の話は、『小学』の中に収められている、一つの話です。柳ヒンという人が語った話です。「成立」と「覆墜」について語っている話です。その話は、現代においても、通用する話であると思われます。
まず、「成立」することの、いかに難しいことであるのかを教えます。そして、「覆墜」することの、いかに易しいことであるのかを教えます。つまり、「成立」することは困難であり、「覆墜」することは容易である、ということです。その教えは、家訓としての教えであるのです。人々の、「家」に対して語る教えです。家の成立と、覆墜とについて言うわけです。例として挙げられるのは、名家です。名門の家、立派な家を、例として挙げて考えるのです。名門の家が成立するまでには、大変な先祖の努力があったということです。そして、名門の家が覆墜する原因は、子孫の怠慢と浪費とがある、ということです。
名門の家の成立するまでを、まずは考えるべきなのです。名門の家の成立の歴史を、調べるのです。家ではなくとも、会社であるとか、学校であるとか、団体であっても、人々から名門と評価されるまでの、歴史を考えることができます。例えば、名門の会社が成立するまでの歴史を調べるのです。そこには、会社員たちの、深い、苦労の歴史を知ることができるのです。名門の会社になるまで、会社員たちは、並々ならぬ、苦労を積み重ねたのです。そして、その、苦労と、努力の、積み重ねによって、名門の会社であるという、世間の評価を得るのです。名門と呼ばれる会社の歴史には、例外なく、先代の社員の、苦労の歴史があるのです。現代においても、名門の会社の成立までの歴史には、どの会社であっても、例外なく、それは当てはまるのです。そしてそれは、名門の野球チームの場合などであっても、当てはまるのです。名門野球チームの成立までの歴史には、必ず、先輩たちの努力の歴史があるのです。つまり、名門を成立させるまでには、先祖の懸命な働きがあったのです。それは、その名門の家の歴史を調べれば、分かることです。現在の名門の状況には、先代の活躍の歴史が隠されているのです。名門には名門の成立の歴史があるのです。そしてその、名門を成立させる歴史は、どの名門についても、共通して例外がない、ということです。名門の、先祖の、苦労と、努力の歴史です。必ず、名門の先祖は、苦労しているのです。それは、本当かどうか、疑問に思える場合は、実際に調べることが重要です。歴史は、国にだけあるものではありません。家や会社などにも、歴史があるのです。名門の会社の、成立までの歴史を、実際に調べて、その歴史に学ぶのです。
そしてまた、名門の家の成立の歴史を考えることができれば、その反対に、名門の家の覆墜の歴史も考えることができるのです。そのような、名門の家の、覆墜の歴史についても、共通して例外のない歴史を考えることができるのです。その、名門の覆墜の歴史も、実際に調べることが重要です。名門の成立までの歴史を調べることで、歴史研究を終わらせてはならないのです。名門の歴史を調べることで、本当に役に立つ勉強となるのは、名門の覆墜の歴史まで調べた時です。人々は、名門の会社の、成立までの歴史については、関心を抱いて調べることが多いのです。確かに、名門の会社の歴史などを、全然調べない人も大勢いる中で、名門の会社の歴史を調べることは、価値のあることです。しかし、名門の会社の覆墜の歴史まで調べなければ、心から納得できる歴史の教訓を得ることができません。なぜなら、名門の会社が成立するまでの歴史を調べただけでは、「偶然、運が良かったから、成功したのではないか」という疑念を払拭することが、できないからです。しかし、名門の会社が覆墜する歴史まで調べれば、その会社の成功は、決して偶然の運によるものではない、ということを、心から理解することができるのです。つまり、先代の苦労があったのです。そして、子孫の贅沢と、怠慢とがあったわけです。名門の成立と覆墜とには、共通して、例外のない歴史を見出すことができるのです。歴史の勉強は、国の歴史の勉強だけを考えることができるのではないのです。家や会社にも、成立と覆墜の歴史を勉強することができるのです。
そこで、そのような、歴史を勉強することによって得られた教訓は、ぜひ、家訓にするべきなのです。その教訓が、その家の繁栄と衰退とに関わる、重要なものであると考えられるのならば、必ず家訓にするべきです。もしも現在、繁栄している最中の家であれば、子孫たちに、ぜひ守らせるべき教えは、家訓としてその家に残さなければなりません。家を成立させることは、非常に困難なことであり、家を覆墜させることは、非常に簡単なことである、ということです。
名門を覆墜させることは、容易なことなのです。容易なことを行う人間は、人間として恥ずかしいことです。人間は恥を知らなければなりません。人間は、困難なことに挑戦しなければならないのです。名門の家に生まれた以上は、その名門の家を維持するのか、もしくは、さらに繁栄をさせるのか、二つに一つです。人間の人生としては、容易な人生を選んではならないのです。容易な人生を選ぶ人間は、恥なのです。つまりは、家を覆墜させるのかどうなのかが問題であるのではなくて、人間として恥ずかしい生き方をするのか、どうなのかが問題であるのかもしれません。失敗することが悪いのではなくて、恥ずかしい人生を選ぶことが悪い、ということかもしれません。『小学』の「成立覆墜」の話の、真の意図というものは、そのようなことであると考えられるのかもしれません。むしろ、家を覆墜させても、大きな問題ではない、ということなのかもしれません。
たとえ家を覆墜させたとしても、その家を成立させた先祖と同じだけの苦労と努力の結果であれば、認められる覆墜である、ということです。つまり、先祖の苦労と努力の教訓だけを、胸に刻んでいれば、それで充分である、ということなのかもしれません。家の成立と覆墜とは、結果に過ぎません。そのような結果よりも、先祖の苦労と努力の過程が尊いのです。名門の家の一つ、名門の会社の一つを、覆墜させても、全力を尽くした苦労と努力の過程があれば、認められるのかもしれません。問題となるのは、人として、恥ずかしい人生を選ぶことです。名門の覆墜よりも、名門としての恥になることが問題なのです。しかし、いかなる努力の結果であっても、名門を覆墜させること自体が、恥となることも考えられます。その場合は、努力は認められるけれども、名門の覆墜が恥となります。努力せずに名門を覆墜させれば、努力しない人間としての恥と、名門を覆墜させた恥との、二重の恥を受けることになります。努力すれば、名門の覆墜の恥だけで済みます。
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