土曜日
現代の思想
サルトルの実存主義について
土曜日は現代の思想について考えます。今日は、サルトルの実存主義について、です。
サルトルの実存主義は、「自由」と「人間中心主義」とがキーワードです。サルトルの実存主義は、人間第一主義から、人間の自由を求める内容なのです。
そのようなサルトルの実存主義で考えられる「自由」は、個人の意識から生まれるものです。サルトルの実存主義は、個人主義の自由主義から、出発する考え方です。そしてまた、人間を尊重しましょう、と考えます。ヒューマニズムです。悪い考え方ではありません。そしてさらに、古い考え方でもないのです。サルトルの実存主義は、神の存在を否定した上で内容が説明されているのです。サルトルの実存主義は宗教ではないのです。現代的な思想です。宗教を信仰する考え方は、古い考え方である、というわけです。神の存在を根拠にして世界を考えてはならないということです。神よりも、人間を大切にするべきだという主張です。個人の人格の尊厳と、個人の自由とを大切にしましょうということです。人間の人格を第一に考えるべきだという、サルトルの主張です。
サルトルの実存主義は、まず自分自身の存在から出発するのです。自分という存在は、自由な存在だということです。そのような自由な存在である自分が、自分の責任で世界に参加するという主張です。サルトルの実存主義は、「自己責任主義」なのです。自分に関わる世界の全部が、自分の自己責任の世界なのです。自由に生きられる代わりに、自己責任で自分の人生を生きるべきだということです。何事についても、決定権は自分にあるのです。自分という人間は、権力を欲しいがままに存在しているのかもしれません。どのようなことでも、自分一人で決定できるのですから。しかし、自分で決定したことは全部、自分で責任を負わなければならないということです。
そのようなサルトルの実存主義というものは、つまり、「自立して生きなさい」という主張なのです。子供が大人になるということです。「これからは自分一人で生きるのだ」というものです。サルトルの実存主義とは、そのようなものであり、細かく考えなければ難しいものではないのです。個人で自立して生きるべきだという内容なのです。「責任を他人になすり付けるな、自分の間違いを素直に認めなさい」というものなのです。「自分でやったことは自分で責任を取りなさい」という考えです。
それがつまり、現代的なサルトルの思想なのです。現代は自己責任の時代だということです。人間は自由であるけれども、行動の全部は自己責任で行動するべきだ、ということです。しかし、サルトルの考えは、他人の人格を尊重した上で行動しましょう、という内容です。自分を大切にするように、他人のことも大切に扱いましょう、ということです。自分は自由に行動できるけれども、他人の人格を尊重する行動をとるのです。人間を大事にするのです。個人は自由だけれども、生きている人間全員に対して、敬う気持ちを持って行動するべきなのです。それは、個人は自由であるけれども、しかし、自由ではない、と考えるようなものかもしれません。
確かにそれは問題であると私は考えます。サルトルの実存主義は、人間は自由であると主張しながら、人間は自由ではないと主張しているようなものかもしれません。サルトルは矛盾した事を言っていたのかもしれません。それは確かに、全然自由ではないと考えられそうです。サルトルの考える自由は、多くの制限が付いている自由かもしれません。むしろ不自由なのではないでしょうか。自由ではあるけれども、人間を大切に扱う行動以外はとることができないということです。サルトルは、人間を大切に扱う行動をとるように私たちに勧めているのです。そうであるならば、サルトルは私たちに、「人間を大切に扱う行動以外は絶対にしてはならない」と、主張していることに変わりないのかもしれません。つまり、サルトルは、私たちの行動を禁止するわけです。自由であると言っておきながら、むしろ私たちの自由を奪うようなことをサルトルは言っているのです。
それは確かにその通りです。サルトルは矛盾したことを言っていたのかもしれません。私には、サルトルは矛盾したことを考えていたように思えます。つまり、人間は自由に行動できるとサルトルは言うのだけれども、しかし、サルトルの主張に従えば、全然、自由に行動できないのではないか、ということです。
しかし、サルトルは間違ったことを言ってはいないのです。サルトルは正しいことを言っているのです。サルトルの主張は人間として正しいのです。つまり、自由は自由でも、人間を悪い方向へ導く自由はない、ということです。人間をより良い方向へ導く自由はあっても、人間を悪い方向へ導くような自由は人間にはないのです。それは人間の主張として、当然の主張なのです。むしろ、人間の主張として、大きな観点から考えれば、矛盾した発言ではないのです。「人間は自由に行動できるけれども、他人を大切に扱う行動のみ、とることが許される」という主張は、確かに、小さな観点から考えれば、矛盾した主張ということです。しかし、人間全体を悪くする自由が認められれば、人間全体の自由がなくなる、というわけです。つまり、人間が絶滅すれば、人間には自由がなくなる、ということです。そのように考えれば、サルトルの、「人間は自由である」という主張も、間違ってはいないのかもしれません。しかしその場合は、個人の自由は全然ないことになるのかもしれません。個人は常に人間全体のことを考えて行動するべきだ、ということになるのでしょうか。
つまり、サルトルの、個人の自由を主張する、実存主義は、他人や社会全体のことを考えると、大きな問題点があると考えられるのかもしれません。個人は自由であるのに、他人のことを考えると、自由ではなくなるということです。しかし、サルトルは決して、人間として間違った主張をしたのではありません。自由は自由でも、人間に認められる自由とは、人間社会が良くなるような行動の自由のみです。
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