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木曜日

東洋の思想




老子という存在について


 木曜日は東洋の思想の日です。今日は、「老子という存在について」考えてみます。老子という人は、東洋の思想の中で、大変有名な人です。東洋の思想を少しでも勉強した人で、老子の名前を聞いたことがない人、というのは、珍しい人です。
 老子という人は、私は、今の段階では、引きこもりか、ホームレスのような人ではないかと思っています。しかし、その、「老子」という存在は、人々の、役立たずな人間かどうかと考えると、それがまた、おもしろく感じられるわけです。どのように、おもしろく感じられるのかということを説明します。つまり、老子という存在は、「人間の中で一番役立たずな人間である」と、考えられると同時に、老子は「人間の中で一番役に立つ人間である」と、両方同時に考えられるのではないかという所です。つまり、老子という人間に対する評価には、最高と最低とが同時に考えられる、というようなところを、私はおもしろく感じているわけです。
 それは、確かに、水のような存在です。水こそ、人間にとって一番役に立たない存在であると同時に、人間にとって、水こそ一番役に立つような存在だ、というものです。だから、老子という存在は、「水」であると言えば、「水」であると考えられるわけです。例えば、いじめの言葉として、実際あるのかどうかは分かりませんけれど、「お前のような存在感のない奴は、俺たちにとって、空気のような存在だ」というものが、あるかもしれません。しかし、その言葉は、いじめの言葉であると言うよりも、むしろ、最上級の褒め言葉となっているのかもしれない、ということです。空気の存在がなければ、私たちは生きていけないのです。人々の、空気のような存在になれる、などということは、この上もない、栄誉あることだと考えられるかもしれません。パソコンを使うにしても、「電気」の存在が必要不可欠なのです。「電気」の存在がなければ、パソコンは動き続けることはできないのです。
 ですが、しかし、「水」にしろ、「空気」にしろ、「電気」にしろ、人間にとって、役立たずの存在であるとも考えられるのです。しかし、「水」も、「空気」も、「電気」も、人間に必要不可欠な存在であるのです。だから、そのように、老子という存在に対しても、「人間の一番の役立たず」という考えと、「人間の中で一番役に立つ人間」という考えと、両方同時に考えられるのです。だからつまり、老子という存在は、すごく貴重な存在なのです。しかしまた同時に、老子という存在は、全然貴重な存在ではないのです。
 確かに、老子という存在は、滅多なことでは見つけられるものではありません。しかし、老子という存在は、どこにでも見つけることができるのです。ここにも、そこにも、どこにでも、老子という存在を見つけることができたりするのです。しかし、老子という存在は、絶対に発見することはできなかったりするのです。
 そのような、得体の知れないものだからこそ、老子は人々から、嫌われていたりするのです。そのような、老子というものは、何か良く分からない、謎が多いものなのです。そのために、老子は人々から憎しみを受けたり、悪口を言われたりするのです。老子ほど、人々から罵詈雑言を受けてきた人も見当たらないほどです。しかしまた、老子ほど、人々から好感を持たれ、そして人々から賞賛を受けてきた人も見当たらないのです。老子ほど、人々から必要とされる人もいないのです。つまり、老子という存在は、最低と最高とが、両方同時に確認できるような存在なのです。
 つまり、老子のような人間になるのは、難しい、ということです。しかしまた、難しくないとも思われるのです。老子は偉大な人であると言えるのでしょうけれども、全然偉大な人ではない、とも言えそうなのです。老子のような人になりたいかどうかと人々に聞けば、確かに、大勢の人が、「老子のような人になって、老子のように生きたい」と、答えるのだろうと思われます。しかしまた、やはり大勢の人が、「老子のようにはなりたくない」と、答えるのだろうと思われます。
 つまり、老子という人は、「人生の達人」なのです。達人の境地を体得した人なのです。しかしまた、やはり、見方によっては、老子という人は、すごく凡人の俗人だというようにも見えるわけです。
 つまり、「老子という生き方、人生はどうなのか?」という問題が発生するわけです。「老子という人は、すごい人なのか、すごい人ではないのか、どちらなのだろう」ということです。ある人は、「すごい人だ」と答えるかもしれません。そしてまたある人は、「あんな人は全然だめな人だよ」と答えるかもしれません。しかし、大体の人は、おそらく、「わけの分からない人だよ」と答えるだろうと思われます。それは、老子のことをかなり勉強した人でも、「わけの分からない人だよ」と答えるのではないかと思われます。しかし、私はこれから老子を勉強していくと、老子に対する理解が深くなって、私の老子に対する評価が変わるかもしれません。








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