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水曜日

東洋の倫理・道徳




列子の人生観について


 水曜日は、東洋の倫理・道徳の日です。今日は、列子の人生観について考えます。列子という人物は、古代中国において、老子の教えを学んだ人物であるということです。そのため、列子には、儒教の教えとは異なる考え方をする部分があります。
 列子の人生観は、列子の宇宙生成観と結び付きがあるものと考えられます。列子の世界観と、列子の人生観とを、両方考えるべきである、ということです。列子は、世界観と人生観とを結び付けているのです。その列子の世界観というものは、総合的な自然観察から得られたような内容です。つまり、科学の心です。列子は、人間世界のことについて考えるために、自然世界の出来事も観察するのです。
 それは、人間世界について考えるための道理を、自然世界から得る、という態度です。人間世界を考えるために、人間世界以外の世界を観察するのです。一見すると関係のないような世界と関係させて考える時、予想外にも理解が深くなるのです。人間世界のことを考えるにあたり、人間世界のことだけを観察して考えれば、視野の狭い考え方になるということです。視野を広げて人間世界のことを考えるのです。視野を広げることにより、全体的な、そして奥深い理解を得ることができるのです。全体的な把握をするのです。特に、人生観というものは、重要なものです。人は、どのような人生観を持つのかによって、その人の人生が左右されるのです。表面的な人間世界の理解に基づく人生観では、深い人生を送ることができません。しかし、人間世界を、自然世界とも結び付けて考えれば、全体的な人間観を得られるものです。そして、全体的で深い人間観から、自分の人生観を形成するのです。つまり、人間の人生を考えるにあたり、自然の人生を考える、ということです。自然にも、その自然の人生があると考えられるのです。
 人間の存在というものは、自然の大きさに比べれば、非常に小さな存在であることが分かるのです。その小さな存在である人間の人生を考えるために、その人間以上の存在について、観察をするのです。人間は、自然の中で生きているわけです。自然の方が、人間よりも大きな存在であるのです。そしてまた、人間世界と自然世界とは、深く結び付いているのです。しかし、自然は人間よりも大きな存在であることと、そして、人間と自然とは深く関わり合って存在するものである、ということに、気付かない人もいるのです。それが人間世界に危険をもたらすことにもつながるのです。人間は、あくまでも自然世界の中に生きる、小さな存在であるということを自覚しなければならないのです。つまり、人間は、自然の動きに合わせた人生を送ることが理想的である、という考え方です。
 人間は、大自然、大宇宙の中で生きているのです。そして、宇宙と自然の動きとには、秩序があるのです。自然は自然法則に従い、秩序通りに動いています。しかし、人間の動き方には、自然法則が通用しません。人間は、自然の秩序を乱そうとします。しかし、人間も、自然の秩序の中で生きているという事実に、気付かなければならないのです。人間は、自分たちよりも、自然の方が大きな存在であるという事実を、受け止めるべきなのです。人間は、自分の自由に行動できるからという理由で、自然の秩序に反する行動を取るものです。しかし、人間も、大自然の中の一部の存在に過ぎないのです。そのような人間が、勝手に自然の秩序に反する行動を取って、自然を乱してはならないのです。それは、人間の生き方としては間違っているのです。そのように間違った人生観を持つに至った原因は、自然世界の見方を誤ったからです。
 つまり、人間は、自然よりも尊大な態度を取るべきではないということです。人間は、大自然の秩序と法則について、深く考えるべきなのです。自然の偉大さを、本当に心から実感できるまで、自然観察、自然研究を続けるべきなのです。人間は、自然の精妙な動きの奥深さに、感服するべきなのです。そしてそれが、人間の人生観を考える上でも非常に役立つことになるのです。深い自然研究が、人生観を変えるのです。自然を見つめることで、人生を考えさせられるのです。自然のメカニズムを発見するのです。自然の絶対法則こそ、正しいのです。その自然の絶対法則に従った人生こそが、間違いのない人生なのです。なぜなら、偉大な大自然が従っている法則であるからです。その法則に人間も従って生きるべきなのです。つまり、人間は、積極的に自然観察を行い、自然法則を発見することに努めるべきなのです。そして、その自然法則を、自分の人生法則として役に立てるのです。
 人間は誰でも、絶対に信頼のおける人生を歩みたいものです。そのためには、絶対に確実な人生観をもつことです。確実な人生観さえ持つことができれば、確実な人生を歩むことができるのです。しかし、問題は、何が人間の人生の、絶対な頼りと考えられるのか、ということです。そしてその答えが、自然観察から得られる、自然の絶対法則である、と考えられるわけです。自然の絶対法則には、何者も逆らうことができないのです。それこそ、人生の確実な指針としてふさわしいものです。人間も、自然の法則を、自分の人生に適用するのです。自然の秩序と世界の動きに合わせた人生を送るのです。そのような人生には、失敗は考えられないことです。自然の法則は、絶対確実なのです。
 つまり、人間は、人生観を考える時、列子のように、世界観まで考えるべきである、ということです。自分の考える人生観は、自然世界と、どのような結び付きがあるのか、考えるべきなのです。そして、その自分の人生観が、自然界の秩序に反しているようであれば、考え直すべきなのです。自分の人生観を、自然世界の動きと合うように考えなければなりません。自然の絶対法則は確実なのです。人間も、自然世界の中で生きているのです。人間の人生は、自然世界の中の人生なのです。そのため、人間は、人間のことを考える場合、自然世界のことも考えるべきなのです。そして、自然世界の秩序に従う人間の生き方が、正しいと考えられるのです。自然も生きているわけです。そして、その自然の中で、人間が生きるのです。そのため、人間は、自然の絶対法則からは、決して抜け出すことはできないと考えられるのです。そのことをよく考えて、自分の人生を考えるのです。
 まず、自然観察をして、自然の絶対法則をつかむのです。そして、自然の全体の動きと、秩序とを深く理解するのです。そのような、自然世界と、自分の生きる人間世界とは、上手に協調しなければなりません。自然世界の法則は、人間世界の中にも及んでいるのです。自然世界と、人間世界とは、別々に離れた世界ではありません。その、どちらの世界にも、共通の法則が通用するのです。つまり、深い世界観に基づかないで考えられる人生観は、表面的なのです。








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