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金曜日

西洋の倫理・道徳




パルメニデスの「不変」について


 金曜日は、西洋の倫理・道徳の日です。今日のテーマは、パルメニデスの「不変」について、です。パルメニデスは、紀元前五世紀頃の西洋で活躍した、有名な人物です。
 パルメニデスは、変化を否定します。事物の変化を、パルメニデスは否定するのです。現実世界の中では、人々は事物の変化を体験するものです。しかし、パルメニデスは、真理を語るのであれば、事物に変化はないと考えるのです。
 パルメニデスは、人間の感覚に基づく世界を、真実の世界ではないと考えるのです。パルメニデスは、人間に感覚される世界ではなくて、人間の考える、言葉の世界が真実の世界であると考えています。パルメニデスは、議論の世界を、真実の世界であると考えます。パルメニデスにとっては、人間の感覚的世界は虚偽の世界なのです。つまり、パルメニデスは、議論だけで全ての物事を解決する姿勢なのです。議論の真実の方が、現実世界よりも正しい、という主張です。議論は確実であり、真実であるけれども、現実世界は、人間を騙している、とパルメニデスは考えます。パルメニデスは、一般の人々とは逆の考え方をします。
 一般の人々の考えでは、現実の世界の方が正しい世界であり、議論の上で、言葉だけで作られた世界の方は間違いであるとします。しかし、パルメニデスは、一般の人々とは反対の考え方をします。パルメニデスは、言葉だけで考えられた世界を、真実の世界であると考えるのです。パルメニデスは、現実世界を、現実世界ではないように考えるわけです。パルメニデスは、現実世界に疑いを持つのです。現実世界とは、感覚的な世界です。人間に感覚される、感覚のままの世界です。そのような世界を、一般の人々は、真実の世界であると考えています。しかし、パルメニデスは、人間に感覚される世界を、偽りの世界と考えます。感覚は、人間を欺いているのです。
 つまり、パルメニデスは、現実逃避を積極的に肯定しているのです。パルメニデスの主張は、現実逃避の、積極的肯定説です。一般の人々は、現実の世界を肯定して、現実の世界を生きるものです。そして、一般の人々は、パルメニデスのような考え方を受け入れません。一般の人々は、パルメニデスの考える世界を、夢の中の世界であると指摘するわけです。しかし、パルメニデスは、夢の中の世界を肯定して、積極的に、夢の中の世界を生きようとします。パルメニデスのような生き方は、一般の人々ではできません。一般の人々は、現実の世界に、しがみついて生きるのです。しかし、パルメニデスは、現実の世界には、しがみつかないのです。それは、パルメニデスの、勇気ある行動かもしれません。一般の人間では、議論だけで決定した真実を、信用しないものです。一般の人間は、言葉だけの世界よりも、感覚的な現実の世界を重視するのです。一般の人間は、感覚的世界から、離れられないのです。しかし、パルメニデスは、一般の人間とは異なり、感覚的世界から離れたのです。パルメニデスは、言葉だけで考えられた世界に生きるのです。
 パルメニデスは、議論を重視するわけです。感覚的世界よりも、机上の理論を大切にします。そのパルメニデスの姿勢は、人間の人生に、挑戦的な姿勢をもたらします。現実の世界よりも、夢の世界の中に、パルメニデスは重点を置くのです。パルメニデスは、信仰の世界に生きるのです。信仰の世界は、議論の世界から生まれた世界です。理論的な世界です。人間は、感覚的な世界だけに生きていれば、挑戦や発展などが生まれません。確かに、パルメニデスの考え方は、現実離れした考え方です。パルメニデスの生き方は、夢の中の世界を生きるような生き方かもしれません。しかし、人間は、夢の中の世界を生きることによって、発展的な生き方もできるのです。議論の話は、仮定の話です。しかし、仮定の話を信じて、夢の中の世界へ進むことも、人間には重要であるのかもしれません。
 これは、人間の、現実離れに対する問題です。パルメニデスは、現実離れを肯定する考えです。それを、一般の人々は非難するものです。しかし、一般の人々であっても、程度の違いがあるだけで、現実離れをした考え方を持っているのです。パルメニデスの場合は、一般の人々よりも、現実離れをする程度が大きいのです。一般の人々は、パルメニデスよりも少ない程度で、現実離れした考え方を持っているわけです。一般の人々も、議論の上だけの話を信じているのです。人間は、言葉だけの世界を信じるものです。そして、信じた者は、挑戦をします。その挑戦が、人間に発展を与えるのです。確かに、議論だけで決定した世界を信じることは、勇気が必要かもしれません。現実離れをした生き方をするには、勇気が必要なのです。
 つまり、現実離れした世界と、言葉だけの世界とが、結び付いているのです。言葉の能力を人間は持っています。そのため、人間は、現実離れをした世界を考え出すことができるのです。そして、そこから人間に、様々な問題が引き起こされるのです。人間は、現実離れをした世界を考え出すことによって、人々に幸福を与える場合もあります。しかし、人間の考え出す現実離れをした世界が、人々とって危険な場合も考えられます。問題は、人間が目覚めながら見る夢です。人間は、寝ている時に夢を見るものですが、しかし、起きている時も、人間は夢を見ることができるのです。そしてまた、恐怖の夢や、危険な夢も、人間は起きている時に見ることができるのです。
 人間は、言葉だけの世界を作り出すことができるのです。パルメニデスも、言葉だけの世界を考え出しました。そして、パルメニデスは、現実から、離れて行きました。パルメニデスは、人々の信じる常識を、議論によって打ち崩しました。パルメニデスは、一般の人々が信用する、感覚的世界を信じないのです。そして、パルメニデスは、一般の人々が信用しない、言葉だけの世界を信じるのです。一般の人々の持つ常識に反する行動を、パルメニデスはとっていたわけです。常識外れの行動です。
 しかし、人間は、常識外れの行動ができるからこそ、発展をすることができるのです。確かに、常識外れの行動には危険が付いています。常識通りに生きる方が安全かもしれません。言葉の世界と、現実の世界とは、異なるものです。言葉の世界が、いかに幸福で、希望に満ちた世界であるとしても、現実の世界は、幸福で希望に満ちた世界であるとは限りません。夢の世界は夢の世界であり、現実の世界は現実の世界であると、区別しなければなりません。しかし、夢の世界を作り出して、その夢の世界を追い求める姿こそが、人間に特有の姿でもあると考えられるのです。
 常識通りに生きていれば、パルメニデスは、楽な生き方ができたのです。しかし、それを、パルメニデスは、わざわざ、常識を疑い、常識に反する生き方をするのです。それがまた、人間に特有な姿でもあるわけです。パルメニデスも、一般の人々と同じように、感覚的世界を信じて生きていれば、問題なく人生を過ごすことができたのです。感覚的世界を信用しないで生きる人生には、多くの問題が発生すると考えられます。そのような人生は、感覚的世界の中で生きる、自分の幸福を捨てるような人生です。パルメニデスは、感覚的世界には、幸福を求めない姿勢なのです。一般の人々の常識通りに、感覚的世界を信用していれば、パルメニデスは、感覚的世界の中で、一般の人々と同じような幸福を味わうことができたのです。しかし、パルメニデスは、感覚的世界の中の幸福を、捨ててしまうのです。そして、別の世界の中に幸福を求める人生を、パルメニデスは選択するのです。常識的世界を捨てて、別の世界をパルメニデスは選ぶのです。パルメニデスは、世界を議論で考えたのです。その議論の結果に、パルメニデスは従うわけです。危険であるのかもしれませんが、しかし、パルメニデスには勇気があります。








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