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月曜日

日本の思想




大塩平八郎の乱について


 月曜日は日本の思想の日です。今日は、大塩平八郎の乱について考えます。大塩平八郎の乱は、江戸時代に起こった騒動です。江戸時代の、天保の飢饉をきっかけに起こった出来事です。
 天保の飢饉では、農民や多くの人が苦しんでいたのです。しかし、徳川幕府は積極的な姿勢で、困窮する多くの人民たちを救うような活動をしないわけです。徳川幕府からは、人民たちへの、誠意というものが感じられないわけです。多くの人たちが苦しんでいるのに、徳川幕府は、なぜ有効な対策を取ろうとしないのか、という、大塩平八郎の怒りです。大塩平八郎自身は、自分の財産を、困窮する人たちのために寄付をしたり、その問題について、幕府が取るべきであると考えられる対策を奉行所に訴えるなどの行動をしていたのです。大塩平八郎は、苦しむ多くの農民たちのために、人民や幕府に、自分のできる事を働きかけていたのです。しかし、幕府は動かなかったということです。人民を救うための有力な対策を幕府は取ろうとしないのです。そのような幕府の態度によって、大塩平八郎は、人としての最後の手段に出る決意をするのです。自分の財産を人民に寄付したり、自分の意見を幕府に提出したりするなど、自分にできる限りのことをしていたのです。しかし、まだ、自分にできることが残されていた、というわけです。最後の手段が残されていたのです。幕府や豪商たちに向かって、兵を挙げて乱を起こそうということです。
 幕府や豪商たちには、農民たちの苦しみや痛みをいくら説明してみても、全然理解しないようなのです。大塩平八郎からすれば、「幕府と豪商とが、少しでも、苦しむ人たちのために、ああすれば、こうすれば、良いのになあ」と思っていたわけです。しかし、いくら説明しても、幕府と豪商は全然動き出さないのです。つまり、人々の痛みが分からないようなのです。確かに、農民たちの窮乏を、口で話しただけでは分からないのかもしれません。だから、農民たちの痛みを、体で理解させてやろうということです。農民たちの苦しみを、体で納得させてやるのです。農民たちの苦しみの度合いは、すでに限界にまで達しているのだということを、幕府や豪商たちに分からせなければならないのです。「まだ大丈夫だろう」ということで、問題を済まされてはなりません。幕府と豪商とが、対策を取れば、問題は解決できるのかもしれないのです。それにも関わらず、どうして人民を救おうとはしないのか、という、怒りの思いです。そこで、大塩平八郎は、農民たちを集めて、乱を起こすのです。
 しかし、その大塩平八郎の乱について理解すべき、重要な点となるものは、大塩平八郎の乱は、決して幕府を倒そうとするための戦いではなかったことです。明治維新のような運動ではないのです。徳川幕府を倒すことが目的だったのではありません。徳川幕府の支配体制と、「士農工商」の身分制度を否定する思いではありません。徳川幕府の支配体制の、制度そのものに挑戦した乱ではなかったところは理解しておくべきです。大塩平八郎の乱は、明治維新のような、四民平等の社会を目指した革命行動ではなかったということです。大塩平八郎の乱は、現代の言葉で考えると、「過激なデモ行進」という性格の運動です。「徳川幕府が世の中を治める社会制度ではなくて、農民たちが世の中を治める社会制度に変化させよう」というような目的ではなかった点を理解しておくことです。
 大塩平八郎の乱は、徳川幕府の支配体制の社会の中で、多くの人々の幸福な生活を願って起こされたものであったわけです。決して、制度そのものを打ち倒そうとした乱ではなかったということです。
 つまり、大塩平八郎は、徳川幕府の忠臣だったというわけです。徳川幕府の忠臣が、徳川幕府に向かって乱を起こしたのです。大塩平八郎のことを、徳川幕府の反逆者だというように考えてはならないのです。大塩平八郎は、徳川幕府に仕える、武士としての自分の使命を果たそうとしていたのです。「士農工商」の身分制度の中で、大塩平八郎は、武士にあたる身分だったのです。その武士というものは、社会の指導者のような役目があるわけです。武士が農民たちの生活を幸福なものへと導いていかなければならないのです。つまり、農民たちが苦しんでいるのは、武士である自分に責任があると考えるようなものなのです。農民たちの苦しみを救えなければ、武士としての職責を果たしていないのかもしれないのです。それは、徳川幕府に仕える武士として、恥ずべきことなのかもしれないのです。栄誉ある伝統と歴史を持つ徳川幕府に仕える武士というものは、非常に優秀な人物であって当然であるわけです。そのような武士の指導の下で生活する農民たちであれば、皆が幸せに生活できているはずなのです。つまり、農民たちが苦しんでいるのは、武士である自分の働きが悪いからだ、と考えるようなものです。そしてまた、多くの人々が窮乏していれば、徳川幕府の社会のためにもならないわけです。社会に混乱を招きます。さらに、自分より上の身分にあたる幕府の武士の人たちのことをも思っていたのかもしれないのです。人民をうまく治められなければ、世間に幕府の悪評が広まります。つまり、徳川幕府の社会を良くするために乱を起こしたのです。その、幕府の社会の全体のことを思っての行動だったのです。








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