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土曜日

現代の思想




ニーチェという存在について


 今日は土曜日です。土曜日は、現代の思想です。現代の思想を考えるには、まず、ニーチェのことを考えるべきです。今日の題は、「ニーチェという存在について」です。
 ニーチェという人の思想は、つまり、「あきらめるな」ということだと思います。「最後まであきらめるな」ということです。ニーチェという人の、そのような態度、姿勢を、私たちは、ぜひとも学ばなければなりません。
 世間には、まだ可能性が残っているというのに、あきらめてしまう人が多いのです。あきらめてしまって、「事なかれ主義」に進む人が多いのです。ニーチェは、そのような、「事なかれ主義」を批判するのです。ニーチェの、その、人生を前向きにとらえるような姿勢は、ぜひとも参考にすべきです。まだ全て終わっているわけではないのに、努力できる余地が残されているというのに、「あきらめるな」ということを、ニーチェは説くのです。まだ、生きているではないか、生命があるではないか、ということです。つまり、「さぼっていてはだめだ」とか、「だらだらするな」とか、「なめんなよ」とか、そのような内容です。「なめんなよ」です。ニーチェは、「人生をなめるんじゃねえよ」、「人生をふざけて生きてるんじゃねえよ」とかいう事を説いているのです。結局のところ、ニーチェという存在は、そのようなことを私たちに語りかける存在であるのです。
 ニーチェのそのような、人生を肯定的に考える言葉を、私たちは求めるのです。しかし残念なことに、ニーチェは病気のために、長く生きられなかったのです。それは本当に、残念な事であると、ニーチェを少しでも勉強した人は思うのです。あと十年ぐらいは、長く活動できたら良かったのに、と思うわけです。そして十年長く活動して、その分、ニーチェの言葉をもっと多く聞かせてもらいたいと、思うわけです。ニーチェはまだ、自分自身に対して、未解決の課題を残したまま、病気に倒れてしまう事になったようであるのです。ニーチェには、その、ニーチェの話の、続きを聞きたいと思うわけです。つまり、残念に思うのは、「良い所」で終わってしまうからです。盛り上がってきた所で終わってしまうのです。まだこれから、頑張ってもらいたいと思う所で、不慮の事故に遭ってしまった、というような事例です。
 つまり、もっとたくさんの、ニーチェの作品を読ませて欲しい、ということです。ニーチェは、強い信念を持って、私たちに、人生を積極的に生きるように説くのです。そのようなニーチェの言葉を、私たちはもっと多く聞きたいと思うわけです。
 世間では、事なかれ主義が、はびこっていたりするものです。古くて悪いような習慣があっても、それをいつまでも変えようとせずに、引きづっていたりするのです。悪いものだと思いながらも、そして不満を溜めながらも、改善することなく、あきらめていたりするのです。事なかれ主義、見て見ぬふり、です。ニヒルです。ニヒルな人生です。どうせだめだ、という人生です。望んだものは得られない、という人生です。無理なことをするのは疲れるだけだから、やめておこう、という姿勢です。
 つまり、平凡第一主義をやめろ、ということをニーチェは説くのです。せっかくの人生を平凡に生きてはならない、ということです。灰色の生活はうんざりするのだ、ということです。人生に情熱を持って生きなさい、です。自分の可能性を信じて生きろ、楽な人生を選ぶな、挑戦しろ、大きく生きろ、まだまだ大丈夫だ、ということです。人生を捨てるな、絶望するな、と、ニーチェは説くのです。
 そして、私たちは、そのニーチェの信念の言葉を、もっと多く聞きたいと思うのです。ニーチェにはもっと長く活動して欲しかったと私たちは思うことになるのです。スターの輝きを、もっと長く見せて欲しいと思うわけです。やはり、少しくらいの問題があろうとも、私たちは、否定的な言葉よりも、肯定的な言葉を聞きたいものなのです。人生を肯定的にとらえるような言葉を聞きたいのです。
 それは確かに、ニーチェという存在は、「前例がない」存在であるのかもしれません。前例がない、とか、歴史の積み重ねがない、とかいう事柄に対しては、私たちは、否定的に考えてしまいがちです。実験的な人生を送ろうとすることは、危険極まりないものだと思うものです。挑戦には、失敗がつきものなのです。人間は、一回死んだら終わりなのです。人間の命は三つも四つもあるわけではないのです。命の大切さを尊重して、自分の命を大事にして、安全に生きなさい、ということです。そのような考え方は、確かに、基本的な考え方であり、大原則です。命は一つです。命がいくつもあれば、危険な人生でも、どんな人生でも送ることができるのです。保守的な考えにも意味はあるのです。確かに、生きている人間の全員が、ニーチェの言葉に従って生きたとしたら、人間社会はどうなるのか分かりません。良くなるのか、悪くなるのか分かりません。
 しかし、命を懸けるか、懸けないか、というほどの、危険なことはできないとしても、「事なかれ主義」ぐらい、打破できるのではないか、と、私には思われます。ニーチェの言葉の大きさよりも、かなり、生き方の規模としては、小さくなるのかもしれません。けれども、しかし、日常生活で、「事なかれ主義」ぐらい、打破できなくてはならないでしょう。ニーチェという存在からは、つまり、そのような、社会に対する、「事なかれ主義」を、やめよう、という、態度を、学び取る必要があると思われるのです。「社会参加」の姿勢です。力をただ持っているだけでなく、その力を、外に表現してみなさい、という態度を学ぶのです。 








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