火曜日
西洋の思想
ソクラテスの「無知の知」について
火曜日は西洋の思想について考察する日です。今日は、ソクラテスの「無知の知」について考えます。
ソクラテスという人は、この、人々の、「無知の知」について暴いたために、人々から、迫害を受けることになったということです。「無知の知」というのは、「知らない、ということを、知っている」という意味です。私は、真実を、知っていない、ということを、私は知っている、自覚している、ということです。確かに、「真実」、「真理」というのは、誰も、知らないものなのかもしれません。「真実」というものは、そのような性格のものなのかもしれません。誰もが、分からないものなのかもしれません。確かに、そのような、分からない、知らない、「真理」について、知ったようなふりをして、偉そうに、しているのだと、人々は思うのかもしれません。だから、そのような、「無知の知」を暴いた、ソクラテスは、人々から、偉い人だと言われるのかもしれません。しかし、「無知の知」を暴かれた人たちは、ソクラテスのことを、あまり良く思わないことでしょう。
この、「無知の知」を暴くというのは、一つの、暴露なのです。プライバシーの侵害だというような行為なのです。ですので、暴露すれば良いのだ、というように、短絡的に考えるのも、疑問に思われるのです。何でも、あらゆるものを、暴露しさえすれば、偉いのだ、ソクラテスのように、偉いのだ、というように、簡単に考えてはならない、と、私は思います。何でも、嘘はだめだ、真実を、一つ残らず、さらした方が良い、と、単純に考えてはならないものだと私は思います。今日のテーマは、ソクラテスの「無知の知」について、なのですけれども、その「無知の知」について、「それは素晴らしい」、「ソクラテスはすごい発見をした」、「パーフェクトだ。完全無欠だ。」というように、私は考えないのです。手放しで賞賛できないのです。何でも真実を明かせばそれで良いというわけでもないのではないかと、私は思うのです。これは一つの、問題なのです。問題となっているから、ソクラテスは、人々から非難を受けて、迫害を受けたりしたのです。人々から、満場一致をもって迎えられたということではないのです。私も、簡単に、真実を明かしていさえすればそれでパーフェクトだ、という意見には、同意できない所もあるのです。
確かに、この、「無知の知」というのは、一つの暴露話であり、それは、議論が分かれる問題なのではないでしょうか。つまり、「人間は裸で生活するべき派」と、「人間は服を着て生活するべき派」との対立だというわけです。それぞれの立場から、色々意見が出ると思います。
ソクラテスは、どちらかというと、「人間は裸で生活するべき派」だったのではないでしょうか。ソクラテスの、人間の着る服についての感覚は、「外敵から身を守るため」とか、「強い日差しを避けたり、体温の低下を防ぐため」とか、そのような、人間の作る、道具の一つである、というような感覚だったのではないでしょうか。それに対して、服を着る目的が、人の視線を気にして、見た目を良くしよう、というような、弱気な気持ちで服を着ていたのではなかったのかもしれません。だから、人間を実際より、大きな存在に見せかけようとする事に対して、ソクラテスは怒っていたのかもしれません。
だから、ソクラテスは、人間の服を着る行為については、体温を調節するとか、外敵から身を守るためとか、そのような、機能を持つものを、人間は道具として作り出して身に着けており、それは人間らしい、文化的なことだとして、認めていたのでしょう。しかし、服を着ることによって、その、「人間の価値」というものを、実際以上に大きく見せかけよう、とすることに対しては、ソクラテスは、断じて認めることはできない、という主張なのではないでしょうか。
だから、ソクラテスは、「男も女も、裸で生活するべきだ」とは、考えていないのではないか、ということです。それはやはり、人間の文化として、人間らしくあるために、人間は外敵から身を守るべきだ、と考えているわけです。女は男を刺激しないように、男から襲われないように、服を身に着けることは、人間として理性的なことだ、とソクラテスは考えていたのだと思います。その点では、ソクラテスは、「人間は服を着るべきだ」と主張するのではないでしょうか。むしろ、裸で日常生活をしていたら、ソクラテスから注意を受けるかもしれません。「あなた、この寒い日に、どうして裸でいるのですか?」とか、「あなたは若い女性なのに、どうして裸で暮らしているのですか?男に暴行を受けて、人間らしい生活ができませんよ」とか、ソクラテスから言われるかもしれません。しかし、おそらく、服を着ることによって、自分の価値を、実際より大きく見せかけようとすると、ソクラテスから、「あなたはそんな立派な服を着て、自分を他人よりも偉い人間だと思っているようですけれども、あなたという人間は、本当に、他人よりも優れた人間なのでしょうか?」と、言われるわけです。
そして、このような話の後に、ソクラテスの「無知の知」についての話が始まるのです。
「あなたは、自分は他人よりも優れている、と思っているのですけれども、そのようにあなたが思う根拠というものは、それはあなたが、他人よりも、多くのものを持っている、と、あなた自身が思っているからではありませんか?」
「そのとおり。私は他人よりも多くのものを持っている。」
「では、あなたにお訪ねしますが、服を着ることで、心身にどのような変化が起こるのでしょうか?」
「体が温まるのだ。」
「なるほど、よく分かりました。では次の質問に答えてください。人間というものは、どんなものを多く持っていると、他人よりも優れているのだと、考えられるのでしょうか。」
「財産だ。私は財産を他人よりも多く持っている。」
「なるほど、財産ですか。しかし、もう少し詳しく、あなたのおっしゃる、財産についてお聞かせ下さい。財産とは何ですか。」
「財産というのは、豪華な服のことだ。私は豪華な服をたくさん持っている。そんな豪華な服を、いくつも着られる私は、他人よりも優れているのだ。」
「なるほど。あなたは、豪華な服が着られる人間ほど、優れた人間であると判断されるわけですね?」
「そのとおりだ。」
「ではあなたに質問しますが、あなたは、体が温かければ温かい人間ほど、優れた人間であると考えているのですか? 答えてください。」
「そうは思わない。」
「しかし、人間が服を着ることによって起こる変化というものは、体が温まることだ、と、あなたは先ほど、そうおっしゃったではありませんか。もしあなたが言うように、豪華な服が着られる人間ほど優れている、というのなら、服を着るということは体温を上げることなのだから、あなたの考えに従えば、体温の高い人間ほど優れていることになるのではありませんか? これは、あなたが言ったことですよ。」
「よく分からないことを言うねえ、ソクラテス。体温が高い人間ほど、優れた人間である、なんてこと、私は一言も言っていませんよ。私は、豪華な服を多く持っている人間ほど、優れているのだと言ったのですよ。」
この後も、ソクラテスの「無知の知」についての議論は続いて、それで、ソクラテスは人々から迫害を受けることになったりする、ということです。
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