月曜日
日本の思想
毛利元就という人物について
月曜日は日本の思想の日です。今日は、毛利元就という人物について考えます。毛利元就は、戦国時代の武将です。毛利元就は、日本全国を統一してはいません。しかし、広い領土を得た武将として知られています。そのような毛利元就という人物は、どのような考え方で行動していたのでしょうか。
まず、毛利元就は、戦国時代の武将であったので、勇気があったものと考えられます。勇気を持たないようでは、武将としての資格はないでしょう。毛利元就は武将ですから、領土を広げなくてはなりません。しかし、そう簡単に領土を広げられるものではありません。領土を広げるためには、その領土を守る人と戦う必要があります。武将は毛利元就だけではありません。守られる領土ごとに武将が存在するのです。つまり、領土を広げるためには、武将と武将で戦いをしなければならないのです。そのような戦いの時に、武将に勇気がなければ、どのようなことになるのでしょうか。最初から、戦いの結果が見えているものです。サッカーでも、野球でも、試合をする選手たちに、もしも勇気がなければ、試合にはならないでしょう。その選手たちが、「ボールが早いので怖い」とか、「あの選手の目つきが怖い」などと言い出すようになれば、試合ができません。確かに、目つきの怖い選手も多いかもしれませんが、しかし勇気を出して、恐怖を乗り越えるのです。勇気を出すには、自分の心の中にある、恐怖の気持ちと戦わなければなりません。自分の心が、恐怖心に支配されてしまうのか、それとも、勇気の心で満たされるのか、それは重要な分かれ道です。もしも自分の心が恐怖心に支配されているのなら、戦いに出かけて行くことはできません。戦う前から結果は分かるのです。確かに、自分の心がいかに勇気で満ちていようとも、勝負の結果は分かりません。しかし、勇気の心がなければ、勝負にはならないのです。つまり、勇気の心は、勝負をすることの最低条件なのです。そのような最低条件の基準を満足に備えていなければ、勝負に参加することさえ認められないのです。勇気を持つことは、最低条件の中の大きな一項目です。恐怖心で体が震え上がっているようでは、自分の能力を発揮することはできないのです。しかし、自分の心が勇気で満たされていれば、その心は体にも伝わるのです。心が体へ変化を与えるのです。自分の心と体とは、互いに通じ合っているものなのです。体さえ丈夫であれば、体は自分の思い通りに動かすことができる、というものではないのです。体が丈夫であっても、心が恐怖心に支配されていれば、体は自分の思い通りには動かないのです。つまり、体が動かなければ、勝負の結果は出ているということです。
そのため、毛利元就は武将としての、強い勇気を持っていたと考えられます。勇気を持って、自分の領土を広げる戦いをしたのです。しかし、現代人の中には、人間の、「勇気の心」などというものを、否定する人もいるのかもしれません。それは、現代の、科学的、物質的なものを尊重する風潮から考えられるものです。つまり、「勇気の心」などを持つことはなくとも、機械の力で人間は強くなるのだ、という考え方です。今の時代は、産業革命の時代だということです。サッカーの試合で勝つためには、「勇気の心」などは必要ないのだ、筋肉増強剤や、精神興奮薬を飲めばよいのだ、という考えです。
つまり、現代人が考えることは、「勇気の心だけでは世間には通用しない」ということです。それは、「人間は、知能、IQが優れていなければならない」という考え方なのです。しかし、実際には、毛利元就は、勇気の心だけが大きかったのではなく、知能も優れていたと考えられるのです。なぜなら、日本は古くから、人間の「智・仁・勇」の能力の啓発に努めるべきであると考えられていたからです。そのため、毛利元就も、武将としての人間に成長するような、「智・仁・勇」の教育を受けていたと思われるのです。そして、成人後も、武将としての能力を高めようと、「智・仁・勇」の自己教育に励んでいたと考えられます。つまり、勇気の心だけがあれば、武将として十分だというものではないのです。相手の城を攻め落とすには、その場の条件に臨機応変に対応した兵法を使いこさなければなりません。戦国武将は兵法の極意を自分で身に付け、実戦に役立てるものなのです。勇気の心だけでは、攻め落とすことはできないのです。領土を広げるのなら、それに対応した計画を立てなければならないのです。
しかしまた、毛利元就という人物は、高い知能と、大きな勇気の心を持つ人物である、という考え方だけでとらえることはできません。毛利元就は、自分自身を教育する能力も高かったのですが、しかしそれに加えて、自分の子供を教育する能力も高かったのです。領土を多く持った武将というものは、今の繁栄が続くものと思いがちです。そのため、自分の子供も、今の自分と同じような生活をこのまま将来まで続けられるだろう、と考えてしまうのです。その結果、広い領土を持つ武将は、自分の子供の教育のことなどを気にかけなかったりするのです。しかし、毛利元就は違うのです。毛利元就は、死ぬ間際まで、自分の子供に人間としての教育を行っているのです。「三本の矢」です。父親から、自分で考えて直接子供に言うのです。今の時代では、大富豪の父親であったら、子供の教育は有名学校の先生に任せるものです。つまり、それだけ父親としての自分に、自信を持つことができないからなのかもしれません。しかし、毛利元就は戦国時代の武将として、「智・仁・勇」を備えた人間であったので、自分の子供に自分の言葉で教育ができたというわけです。有名学校の先生などの手助けは、毛利元就には必要なかったのです。
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