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金曜日

西洋の倫理・道徳




ミレトス学派と科学主義について


 金曜日は、西洋の倫理・道徳の日です。今日の題は、ミレトス学派と科学主義について、です。ミレトス学派は、紀元前六世紀頃に、西洋において活躍した学派です。ミレトス学派では、ターレスが最も有名な人物として知られています。
 ミレトス学派は、古代の西洋において、科学的態度のある学派です。ターレスは、世界は水から構成されていると考えます。ターレスは、世界にある全ての物質を、水でできていると考えるのです。また、他のミレトス学派の人物は、火と土と水の均衡関係を重視する考え方を持ちます。そして、空気を、根本的な世界の構成要素と考える、ミレトス学派の人物もいます。それらのミレトス学派の人物たちの考え方の態度は、科学主義の考え方であると認められます。現代の観点から評価した場合、ミレトス学派の立場は、科学主義の態度であると考えられるのです。その態度は、宗教的な迷信を盲目的に信じる態度ではありません。ミレトス学派の姿勢には、人間の理性的な力を重視する姿勢があります。
 確かに、ミレトス学派の科学の水準は、現代の科学の水準には及ばないものです。「世界は水から作られている」と考える人物は、現代においては見当たりません。しかし、ミレトス学派には、教説の内容ではなく、態度に注目しなければなりません。ミレトス学派の教説の内容が間違っているから、という理由で、ミレトス学派の全てを否定してはなりません。ミレトス学派の科学の、内容の間違いは問題ではありません。ミレトス学派から学ぶべきものは、ミレトス学派の持つ、探究心の姿勢です。ミレトス学派には、開拓精神があるわけです。その開拓精神とは、人間が、依存状態から自立する態度です。ミレトス学派は、人間の力を信じるのです。世界に対して、無力感を感じながら、ミレトス学派の人物たちは生きるのではありません。ミレトス学派の人物たちには、世界に対して、人間の力を前向きに使用する態度があるのです。それは、人類が文明を築こうとする態度です。ミレトス学派の持つような態度によって、人類は文明を築くのです。それは、進歩的な態度です。世界に対して、受け身的に生きる態度ではありません。世界の謎を、人間の力で解明しようとする態度です。その態度は、現代の科学者たちにおいても、共通して見ることのできる態度です。ミレトス学派の、教説の内容を学ぶのではなく、態度を学ぶべきなのです。
 ミレトス学派の人物たちは、自分の教説を、仮説であると考えるわけです。現代の科学においても、仮説を考えながら、研究を進めます。科学には、仮説を立てることと、事実を観察することとが、重要なことなのです。ミレトス学派においても、仮説と、事実とを、大切にします。ミレトス学派には、もしも仮説と事実とが異なっていた場合、自分の仮説を修正する姿勢があります。ミレトス学派は、狂信的な宗教団体ではないのです。ミレトス学派は、神秘主義の姿勢をとるのではありません。神秘主義の学派であれば、事実よりも、自分の学派の教説を重視します。神秘主義の学派は、自分の学派の教説を訂正しないのです。しかし、ミレトス学派は、仮説と事実の、両方を尊重します。現代の科学の研究においても、仮説と事実を、両方尊重します。ミレトス学派の態度は、現代の科学の研究の態度と共通しているのです。確かに、内容の部分では、ミレトス学派と現代科学とでは異なっています。しかし、態度の部分では、現代の科学者の態度と、ミレトス学派の人物たちの態度とは、共通するものがあります。
 仮説を立てる態度は、人間の力を信じる態度です。人間の力を信じない人物は、世界の謎に対して、仮説を立てることはありません。人間が、仮説を立て、そして世界の謎に立ち向かうことで、人類の文明には発達がありました。仮説の部分は、人間の力を使用する部分です。そして、事実の部分は、人間から離れた、世界の方の部分です。人間は、世界に立ち向かうのです。それは、人間が、仮説を考案しながら、事実に立ち向かうことです。人間は、理性的な力によって、仮説を考案します。そして、その仮説によって、人間は事実に向かいます。仮説が、事実と合っていれば、その仮説は正しいものです。しかし、仮説と事実とが合わなければ、その仮説は間違っています。神秘主義の学派であれば、自分の学派の仮説が事実と異なっている場合であっても、事実を直視することを避けます。それは、現実逃避の姿勢です。人間の力は、世界に対して無力であると考える姿勢です。神秘主義の学派の態度では、人間の科学に進歩がありません。何度も仮説を考案しながら、何度でも事実に立ち向かう姿勢によって、人間の科学に進歩があります。
 ミレトス学派は、人類の科学文明を、進歩させたのです。ミレトス学派が、もしも世界の謎に挑戦していなければ、人類の科学の発達は遅れていたのかもしれません。ミレトス学派には、人間の理性の力を信じる態度があったのです。感情的に生きる人間では、神秘主義の態度を持つものです。人間の理性の力は、感情的な力とは異なるものです。科学を進歩させる態度は、人間の理性の力を重視する、合理的な態度です。現代の科学者も、感情的な態度で科学の研究を行っているのではありません。理性の力は、考える力です。感情の力は、感じる力です。その場合、受け身的な態度の方は、感情的な態度の方であると考えられます。理性的態度の方は、感情的態度に比べて、前向きな態度であると考えられます。理性の力は、人間の受け身的な態度の中には、見出されないものです。人間には、理性の力も、感情の力も、両方必要です。しかし、それらの力の持っている、性質が異なるのです。文明を発達させない人々は、感情的に生きる人々であると考えられます。理性の力には、人間の文明社会を発達させる力があるのです。ミレトス学派の合理主義の態度は、人間の文化の歴史に対して、大きな影響を与えたのです。人々の多くは、人生を感情的に生きるものです。しかし、ミレトス学派は、人間の、感情の能力とは異なった能力を重視したのです。
 そのミレトス学派の態度が、当時の古代社会の中では、新しいものだったのです。新しいことを行う人間によって、人間社会は進歩するものです。ミレトス学派は、人類の文明を進歩させる、新たな一歩を踏み出したのです。そのミレトス学派の姿勢には、大きな価値があるのです。古代社会では、学問は発達していませんでした。学問が発達していないため、社会の中には、学問を行う人物は多くありません。古代社会は、学問が流行していた社会ではなかったのです。その、古代社会の流行に反して、ミレトス学派は、学問を行うのです。ミレトス学派の人物たちは、当時では、珍しい人物だったのです。ミレトス学派の人物たちが、社会の人々から優遇されたのかどうかは分かりません。ミレトス学派の人物たちは、社会の人々から、厳しい扱いを受けながら人生を送ったのかもしれません。ミレトス学派の活動は、当時の社会の中では、珍しい行為であったことは確かです。しかし、ミレトス学派は、当時の社会の流行から離れて、独自の姿勢を貫くのです。
 そのミレトス学派の新しい行動によって、人類の文化の歴史は前進することになりました。ミレトス学派によって、人類の文化の中に、科学主義の態度がもたらされたのです。科学主義の態度は、学問全般の研究にも通じる態度です。学問研究には、人間の前向きな探究心が必要です。その姿勢は、不合理を退ける、合理主義の姿勢と共通しています。学問の探求は、人間の、文明開化の行いです。人間の文明の中には、科学主義の態度があるのです。人間が文明社会を築く場合、合理主義と、科学主義の姿勢が見られるのです。つまり、ミレトス学派の科学主義の態度は、人間が文明社会を築く上では、必要不可欠の態度なのです。合理主義によって、人間は文明社会を築くのです。それは、他の動物には見られない、人間特有の、人間らしい行いです。








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