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水曜日

東洋の倫理・道徳




論語の「学而」について


 水曜日は、東洋の倫理・道徳の日です。東洋思想です。今日は、論語の「学而」についてです。論語の「学而」、というのは、復習は楽しい、友人が遠方から来るのは楽しい、人が分かってくれなくても、恨まず、怒らず、というのは、君子だ、という内容です。この内容は、論語の、一番始めに置いてある言葉です。なぜ、一番始めに置いてあるのでしょうか。論語の始めの、第一番目に置いてある意味は、なんでしょうか。
 その、意味というのは、復習をしなさい、ということが、言いたいからでしょうか。復習こそが、重要なポイントだ、ということを、言いたいのかもしれません。つまり、「この論語というものは、一回読んだだけでは、絶対に、内容を深く身に付けられませんよ」という、注意書きを、一番始めに持って来たというわけかもしれません。論語を、これから勉強して身に付けていくための、注意事項が、論語の一番始めに置かれている、ということかもしれません。「製品のご使用上の注意」です。学問を行う上での、体験者の談です。孔子に、学問を今まで行ってきて、どうでしたか、と、感想を聞いて、それに対する孔子の回答なのかもしれません。その回答の言葉の背景には、孔子の苦労も、にじみ出ているように思われるのです。苦労と、そして、学問の喜びと、です。
 学問を行う初心者というものは、学問に対して、喜びしか求めていなかったりするわけです。学問をしたら、自分には、楽しいことばっかり待ち受けているのだとか思うわけです。そのような考えでは、挫折と絶望とが、君を待っているよ、ということです。「これから君は、論語を勉強して身に付けていく気でいるのだろうけれど、学問の道というのは、楽しいことばかりではないよ」ということを、論語を編集した人の心使いで、論語の一番始めに持って来たのかもしれません。やはり、論語を読むにあたっての、「心構え」というものが、まず一番始めに、重要なものだ、という気持ちです。
 つまり、「君はここに何をしに来たのだね? 正直に言ってみなさい。君子になりたいんだろう? そうだろう。君はあの、あこがれのスーパーヒーローの、君子にあこがれていて、自分もそんな、君子になりたいと、そう思ってここに来たのだろう?」ということです。
 あの有名な、スーパーヒーローの孔子様の言葉が書いてあるという、「論語」。そんな有名な論語を読みさえすれば、自分もきっと、スーパーヒーローになれるんだ、と、論語の門をくぐって、入って行くわけです。そうすると、論語の門を守る、門番のような人がいて、これから論語を勉強していこうとする人に対して、注意事項、心構えを説明するわけです。「これだけはまず、知っておいて下さい」という言葉です。「論語は、一回読んだだけで全て身に付けるのは絶対に無理だよ、論語の深みにはまっていくと、周囲から変人奇人扱いされて、友人が少なくなっていくよ、大勢の多数の人から、離れた人になってしまって、孤独な生活を送ることになるかもしれないよ」ということです。
 学問の道というのは、そのような、厳しい面もあるのだ、という注意書きが、まず始めに、論語の一番始めに置かれるわけです。「始めに言っておくけど、論語を本当に読むのは厳しいよ」ということです。しかし、これは、ある意味、論語の親切なところかもしれません。最初は、楽なことを言っておいて、後になってから、「実は、達成できる人はごくわずかな人です」というような、人を騙すようなことをしないわけです。
 論語の一番始めに書いてあるわけです。「変人奇人扱いされても、それは覚悟しておきなさいよ」と。「変人扱いされるのが嫌だというのなら、あなたには論語を身に付けることは無理です、資格がありません」と、最初に言われるわけです。「そんなに、生やさしいものではない」と。「論語を勉強しているのに、全然良い事がないばかりか、かえって、論語にひどい目に遭わされている、と、あなたはこの先、感じることがあるかもしれません」と、まず最初に書いてあるのです。後で言うのではなくて、最初に言うのです。それがまた、論語の親切なところなのかもしれません。
 「論語を身に付けることは難しい、厳しい」と、一番始めに、分かりやすく書いてあるわけです。論語という本の、一番上の、誰しもが目につく部分に、はっきり書いてあるわけです。これほど親切なことはないのです。分かりづらい部分に、「実は、論語を熱心に勉強していると、周囲の人々に変人扱いされることがありますから、ご注意を」などと書いてあることはないのです。まず一番始めに、「論語を深く読んでいると、友人が離れて行き、孤独になる事態が起こり得る」と、書いてあるのです。その点では、論語には、騙し行為がないということです。
 「論語はもっと楽しいものだと思っていたのに、読んでいる途中で、厳しいものだということが分かったよ。もっと早く教えてくれればよかったのに」というようなことがないのです。もっと悪質なのは、人の気分を調子良くさせて、引き込んでおいて、そして、前半にも、後半にも、ずっと、「あなたも、この後すぐに、有名人になれますよ」とか言っておいて、それで、最後の最後の、ほんとに、最後の部分で、「短期間で有名人になる事は不可能です」と、ネタばらしをするようなケースです。その点、論語の場合は、一番始めに、親切に、「スーパーヒーローになるのは並大抵の努力では無理だ」と、書いてあるのです。一番始めの、誰もが読む所に、です。








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