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火曜日

西洋の思想




ロックの経験論について


 火曜日は、西洋の思想の日です。今日のテーマは、ロックの経験論について、です。ロックは経験論だけを発表したことで有名であるのではなく、政治論についても発表しています。
 ロックの経験論というものは、「人間の心は経験を重ねることによって形成されるものである」という論です。人間の心は、生まれた時は白紙の状態であった、という考えです。そしてその、白紙の心に、経験を積み重ねれば、人間の心が次第に経験を経ながら出来上がる、という説です。つまり、人間は経験を積んだこと以外は知らないということです。経験こそが人間にとっての真実だというわけです。
 このロックの経験論によって、人間の持つ知識というものに反省が加えられることになったのです。知識にも、様々な種類の知識があります。その中の知識には、正しいものや、間違ったものがあると考えられます。そしてその、知識が、正しい知識であるのか、それとも誤った知識であるのか、その基準となるものが、経験なのです。人間が持つ知識の中で、正しい知識とは、経験に裏付けられた知識のことなのです。なぜなら、そもそも人間は生まれた時には、心が白紙の状態であったのです。生まれた時に白紙の状態であった、ということは、知識の正確性の根拠となるものは、経験以外にはあり得ないと考えられるわけです。
 つまり、生まれた時は、何も知識を持たないで生まれたという主張なのです。そうであるならば、その人間の持つ正しい知識の範囲というものは、その人間が現実世界の中で経験した範囲に限られるというわけです。人間が持つ正しい知識には、範囲があるのです。経験の範囲です。経験を超えた範囲の知識は、誤っているのか、それとも、正しいとは言い切れない知識のどちらかなのです。
 世間の多くの人々は、それぞれ、意見を持ち、そして発言をするものです。そしてその発言は、確かに、誤っているとは言い切れないものが多いのです。明らかに誤っていると分かる意見ではないのです。しかし、正しいとは言い切れない意見なのです。それにも関わらず、世間の人々は、自分の意見が絶対に正しい意見であると主張するのです。それが問題なのです。「絶対に正しい」という部分が問題となるのです。ロックの経験論は、そのような、「絶対に正しい」とか、「確実で疑う余地のない」とか、「百パーセント真実の」とかいうような知識を批判するのです。世間の人々は、自分の意見を「絶対に正しいのだ」というように主張するものです。ロックの経験論は、「絶対」とか「確実」だと言われる知識を問題にするのです。
 そのようなロックの経験論は、常識的な考え方なのです。紳士的なのです。「本当の強さとは何か」というものです。嘘でも間違いでも、大きな発言をすれば、強い人間であるのか、ということへの疑問です。本当に強い人間は、嘘を言わない人間であるのかもしれません。自分を大きく見せかけられる人間ほど、強い人間である、という考えは、間違いであるのかもしれないのです。本当に強い人間というものは、常識的判断に従って行動をする人間であるのかもしれません。そのような、常識的な考え方こそ、ロックの経験論なのです。
 ロックのようなことを主張できる人間は、あまり存在しません。ロックという人間は、常識的な意見を述べる人間であるのにも関わらず、ロックのような人は少数なのです。それは、一人の人間が世間の常識的な枠組みの範囲の中で生き続ける、ということの難しさを物語っているのかもしれません。つまりそれが、常に常識的に生きる人間は強い、ということの証しです。
 世間の人々は、常識から外れた考えや行動を、むしろ尊重していたりするのです。「常識的」という言葉を、むしろ悪い意味に使ったりします。しかし、世間の人々は、常識的に生き続けることが、いかに難しいものであるかを知らないのです。だから、「常識的」という言葉を悪く考えるのです。そして、世間の人々は、「爆弾発言」をする人間ほど、偉い人間だと考えたりするのです。そして、常識から外れた発言をする人間ほど、世間の賞賛を浴びたりします。そのため、ロックのような経験論を主張する人が見当たらないのです。つまり、ロックのような経験論の主張は貴重な意見だということです。貴重だということは、それほど価値があるのです。
 つまり、ロックの姿勢は、凡人の姿勢とは逆であるのかもしれません。ロックの姿勢というものは、万人に理解できる主張をしよう、という姿勢です。しかし、凡人の姿勢というものは、ごく少数の人にだけ理解できる主張をしよう、というものです。つまり、凡人は、自分独りだけが理解できる意見こそ、価値があると考えたりするのです。ロックの態度とは逆の考え方であるのかもしれません。だから凡人は、誰もが主張しないような奇抜な発言をするのかもしれません。そして、発言も奇抜であれば、行動も奇抜であったりします。人間が常識的に生きる、ということの強さ、難しさを分かっていないのです。
 そのような凡人の人は、ロックの経験論を勉強するべきなのです。むしろ、ロックの経験論を身に付けた生き方こそが、凡人の人が魅力を感じる、偉大な生き方への近道となるものかもしれないのです。一見するとロックの経験論は常識的な考え方に思えるのかもしれません。しかし、実際にロックの経験論を、心の底から深く理解することができれば、その時は、凡人の人生はどのように変化するものか分かりません。まず、その凡人は、世間の大多数の人々から抜け出すことができるのです。つまり、そこからが、偉大な生き方へのスタートなのです。ロックの経験論を勉強することは、偉大な生き方をするための、スタートラインだというわけです。ロックの経験論を学ばずして、偉大な生き方をすることはできないのです。ロックの経験論を勉強することなく、大きな発言をする人というのは、でたらめなことを言っているのかもしれないのです。つまり、常識を良くわきまえた上で、常識を超えるような発言ができる人こそ、本当に偉い人だ、ということです。








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