日曜日
時事ニュース
中国共産党大会について
日曜日は、時事ニュースの日です。今日の題は、中国共産党大会について、です。中国共産党大会は、中国の将来を決める、重要な会議です。
中国は、共産党が最高の権力を持っている国であると思われます。共産主義の体制は、社会主義体制の一種であると考えられます。中国は、社会主義体制をとっている国なのです。社会の体制にも、自由主義体制や、民主主義体制や、社会主義体制などがあります。共産主義体制は、自由民主主義体制よりも、社会主義体制に近い体制です。日本の場合は、自由民主主義体制に近い体制です。
つまり、現実的な社会体制を考えた場合、民主主義体制と、社会主義体制とを考えることができるわけです。民主主義か、社会主義か、どちらかです。自由主義体制の国は、神の国です。自由主義体制の国で、国民の全員が幸福になる場合は、驚異的な世界です。野生状態の、野放しの状態で、国民の全員が幸福になるわけです。それは、現実的な国家体制ではありません。自由主義の国では、国民の全体が幸福になることは少ないのです。しかし、人間には、自由が必要です。人間は、自由に活動する部分に、活力と生きがいを見出すことができるものです。自由が保障されていなければ、人間は、生きがいのある人生を送ることができません。自由な人生には、生きがいがあるわけです。人間は、自由に生きられることを願っているのです。しかし、人間に自由を認めると、個人主義に向かう場合が多いのです。自由な社会の中で、他人の事を考えないで生きる人間が増えるのです。人間には自由も必要ですが、しかし、自分の自由だけを求めれば、他人の生活に被害を及ぼします。個人の自由と、他人の自由とに、摩擦が生じるのです。
つまり、国の社会体制には、自由の問題が存在しているのです。人間は、自由を追求しているのです。社会体制の問題は、自由の問題です。自由化を、どの程度進めるのかによって、社会体制が決まるのです。最高の理想状態は、国民の全員に、完全な自由が保障されている国です。しかし、国民全体の幸福を考えた場合、国民の自由にも、規制の必要性が生じます。規制が多ければ多いほど、社会主義の国に近寄ります。社会主義の国は、規制が多い国です。規制が多ければ、国民に保障される自由も少なくなります。しかし、自由は減ったとしても、国民全体の幸福な生活が保障されます。自由を減らした時に、国民全体の幸福が増大するのであれば、規制を設けて、自由を減らすのです。そして、活動の自由が減れば減るほど、社会主義体制の国であると認められることになります。民主主義体制の国の場合は、社会主義体制の国よりも、国民に許された自由の程度が多いわけです。人間は、自由な生活を求め、その反対に、規制の多い生活を拒むのです。人間は、できれば、規制のない生活を望むのです。規制は、悪であるということです。人間は、自由な暮らしが一番であると考えるものです。そのため、規制を撤廃しようと考える人々は、大勢いるものです。
中国の場合は、共産主義体制をとっています。共産主義体制は、社会主義体制に近い状態です。そのため、中国は、民主主義体制の国よりも、規制の多い国であると考えられます。中国は、規制の多い国なのです。人間は、規制されることを嫌うものです。人間は、自由に生きることを望みます。しかし、国民全体の幸福を考えた場合、規制は必要です。日本にも、様々な規制が存在しています。日本の場合は、民主主義体制の国なのですが、しかし、多くの規制があります。日本の場合でも、規制の数を増やせば増やすほど、社会主義体制の国に近寄ります。規制の多い国ほど、社会主義体制の国なのです。中国の場合は、社会主義体制の国です。なぜ、中国は、社会主義体制をとっているのでしょうか。それは、中国の国民全体の幸福を考慮するからです。社会主義体制によって、国民の全体が幸福になれば、社会主義体制に問題はありません。民主主義も、社会主義も、それ自体の主義に、善悪はありません。それらの主義は、手段です。目的ではありません。自由民主主義社会自体が目的になったり、共産主義社会自体が目的になったりすることは、目的の考え違いです。社会体制は、手段です。国民全体の最大幸福を達成させることが第一の目標です。社会体制の種類は、問題ではありません。どのような社会体制であっても、国民全体の最大幸福を達成させることができれば、許されるのです。人間の自由を規制することが許されるのです。規制の悪が許可されるのです。
人間の持つ基本的人権として、自由に生きる権利があります。しかし、国民全体の幸福のために、人間の自由に生きる権利を奪うわけです。その、自由の権利を奪うことが、許可されるのです。規制を入れて、自由を奪うのです。確かに、人間の自由に生きる権利を奪うことは、問題のある行為であると考えられます。しかし、自由化を推し進める行為の方も、問題のある行為であると考えられるのです。規制撤廃と、自由化促進を唱えれば、それが常に正義であるとは限りません。厳しい規制を作る場合の方が、正義の場合もあります。人間の自由の権利を奪う行為も、正義であると認められることもあるのです。国の権力が、国民の権利を奪うわけです。権力が横暴します。しかし、そのような、国の権力の横暴行為の中に、正義が存在するわけです。国の持つ、大きな権力が是認されるのです。
中国共産党大会の重要問題の中の一つとして、中国の民主化の問題があります。しかし、社会体制の民主化の問題は、手段の問題です。民主化自体を目的に考えることは間違っています。中国の民主化に対しては、慎重な態度で当たらなければなりません。自由化を推し進め、規制を撤廃させれば、それで全ての問題が解決されると考えてはなりません。自由化を推し進めることの、危険性も考える必要があります。自由化を進めた場合、事態が悪化することもあり得ます。規制を強化させた場合の方が、状態を改善させられるかもしれません。共産主義者も、理想を持ちながら、共産主義社会を維持しているのです。規制の多い社会の中にこそ、真の自由が存在するのかもしれないのです。共産主義者は、真の自由を追求するわけです。共産主義者であっても、民主主義社会の方が、国民の幸福のためになると判断すれば、民主主義原理を取り入れる態度を持っています。共産主義社会は、手段であって、目的ではありません。共産主義者は、常に国民のことを考えているのです。共産主義者は、国民の味方です。共産主義者が問題にすることは、民主化のことではなくて、国民の幸福のことです。共産主義者の念頭には、常に国民の幸福の問題があるだけです。共産主義者は、国民の幸福の問題に専念しているのです。
中国は現在、共産主義社会であるのにも関わらず、格差社会の現実があります。中国は、貧富の差が激しいのです。貧富の差が激しい社会の中で、自由化を推し進めれば、さらに貧富の差が拡大するかもしれません。自由化が、中国に混乱をもたらすのです。そのため、中国の民主化には、慎重な態度が欠かせません。中国の共産党員にも、深い悩みがあります。中国の政治には、中国の政治があるわけです。中国は、非常に大きな国です。中国人の人口も、数えられないほどの人数です。中国は、小さな国とは、規模が違います。中国は、国の面積も、人口も、日本人の想像を超えた規模があります。そのため、日本の政治には民主主義が適しているとしても、中国の政治には、民主主義が適していないことも考えられるのです。日本での民主政治の成功を、そのまま中国の政治に移すことはできません。中国の政治で、民主化を推し進めれば、中国の国内状況が悪化する場合もあります。中国共産党大会の会長である、共産党員の人も、中国の国民の幸福を考えていることは間違いのないことです。民主化を行えば、それですむ問題ではありません。
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