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木曜日

東洋の思想




諸葛孔明の「前出師の表」について


 木曜日は、東洋の思想を考えます。今日の題は、諸葛孔明の「前出師の表」について、です。諸葛孔明は、『三国志』の主人公として、有名な人物です。
 孔明の「前出師の表」は、孔明が戦いに出発する時に、国王に上奏した文章です。中国は、その頃、三国時代でした。孔明は、中国の統一を目指しているわけです。孔明が、「前出師の表」を上奏した相手は、自分の国の王様である、ということです。三国ある国の中で、自分の所属する国の王様に、孔明は「前出師の表」を提出したのです。つまり、孔明の国の国王は、天下統一を果たしていない王様なのです。孔明の国は、外国と戦うわけなのですが、しかし、その外国人とは、言葉の通じ合う、中国人であったのです。中国内であっても、国が三つあり、それぞれの国は、外国同士であったわけです。国が三つあれば、国王も三人存在するのです。孔明の国の国王は、三国の中の一つの国の国王です。
 その孔明の国の国王というものは、二代目の国王であるのです。孔明の「前出師の表」には、その二代目の国王が登場するのです。つまり、孔明の「前出師の表」の中の重要人物として、二代目の国王が考えられるのです。「前出師の表」の中の人物で、一番の最重要人物として尊敬しなければならない存在は、一代目の国王です。「前出師の表」の中の登場人物には、主人公が三人数えられるのです。一代目の国王と、二代目の国王と、そして孔明とが、主人公として登場するのです。それらの人物の、身分の位置関係が問題と考えられるのです。「前出師の表」では、一代目の国王と、二代目の国王と、孔明との、相互の人間関係が問題の一つなのです。
 「前出師の表」の三人の主人公の中で、まず、一番偉い人物が、一代目の国王であると考えられるわけです。しかし、その一代目の国王は、「前出師の表」が提出される時点では、この世には生きていない存在であるのです。一代目の国王は、生きてはいないのだけれども、しかし、一番に尊敬しなければならない人物です。それは、人間として、当然持つべき感情であるのです。そして、一代目の国王の、次に偉い人物が、問題となります。一代目の国王の存在は、絶対的なものとして、疑いようのない存在です。そして、二番目に偉い人物は、二代目の国王か、もしくは孔明かの、どちらかです。
 二番目に偉い人物は、二代目の国王であると、考えることもできます。二代目の国王の方が、孔明よりも偉い存在であると考えるのです。確かに、孔明よりも、二代目の国王の方が、偉い存在なのです。二代目の国王の命令には、孔明も逆らうことはできません。しかし、二代目の国王の意見に従っているだけでは、孔明は戦いに出て行くことができません。孔明としては、二代目の国王の意見に逆らってでも、戦いに出て行く気持ちなのです。孔明と、二代目の国王とでは、どちらが立場が上であるのか、問題が発生するのです。孔明は、大臣の身分にあたる存在です。国王と大臣とでは、国王の方が、身分は上であると考えられます。
 しかし、孔明は、一代目の国王の、身近な人物であったのです。一代目の国王は、国の創業者であり、二代目の国王よりも偉い人物です。二代目の国王が、国王の身分で生きられるのも、一代目の国王の努力があったからです。二代目の国王は、一代目の国王の後を引き継いだのです。二代目の国王は、一代目の国王よりも、尊敬するに値する人物ではないのです。一代目の国王の方が、その国の国民たちに対して、多くの幸福を与えているのです。一代目の国王の力によって、多くの国民の命が救われた、と考えることができるのです。しかし、二代目の国王の方は、一代目の国王よりも、国民たちに与えた幸福の量が、少ないわけです。国民たちに与えた幸福の量を比較することで、その人物の、尊敬の度合いを考えるのです。それを考えれば、一代目の国王の方が、二代目の国王よりも、国民たちに与えた幸福の量は圧倒的に多いのです。そのため、一代目の国王の方が、二代目の国王よりも、絶対的に偉い存在なのです。二代目の国王も、一代目の国王には逆らえないのです。そのような、一代目の国王と、孔明とが、身近な関係であった、ということです。そして、孔明も、国の創業のために、多大な苦労を重ねていたのです。
 つまり、孔明は、二代目の国王よりも、国の創業のために、大きな努力を果たしていたのです。それは、孔明には、実質的な偉さがある、ということです。考え方によっては、二代目の国王よりも、孔明の方が偉い、と考えられるのです。一代目の国王と、孔明とは、行動を共にした仲間だったのです。一代目の国王の仲間の方が、二代目の国王よりも、偉いと考えたりするのです。
 しかし、それは社会的に考えて、許されないことなのです。国王よりも、大臣の方が偉い立場であると思って振舞ってはなりません。孔明は、国王に逆らうことは、身分上では許されないのです。しかし孔明は、二代目の国王よりも偉い存在である、一代目の国王に、認められているわけです。孔明は、一代目の国王から、許可を得ているのです。孔明の場合は、大臣として許されない行動が、許されているのです。一代目の国王が、孔明の行動を許しているのです。
 そしてまた、その国の国民たちも、孔明の行動を許す気持ちなのです。孔明は、世論にも支持されている、ということです。孔明は、国の創業のために、一代目の国王と一緒に、力を尽くした人物なのです。二代目の国王は、国の創業に関しては、全然活躍を見せていません。孔明は、実際に、国の創業に関わって働いた実績があります。そして、多くの国民たちからも、実際に支持されているのです。孔明は、評判が良いのです。つまり、「前出師の表」の中の、三人の主人公の中では、実質的には二番目に孔明が偉い人物であるとも考えられるのです。大臣である孔明の方が、国王よりも偉いのです。
 しかし、その部分に、「前出師の表」において、難題が発生すると考えられるわけです。それは、二代目の国王の方に問題があると考えるのか、もしくは、孔明の方に問題があると考えるのか、どちらなのか、ということです。つまり、二代目の国王の方が悪いのか、それとも、孔明の方が悪いのか、ということです。「前出師の表」では、孔明が、二代目の国王に対して、様々なことを指図しているのです。それは、孔明が、二代目の国王に対して、文句を言っているようにも受け取れるのです。孔明の、二代目の国王に対する、文句です。それが、「前出師の表」において、問題と考えられる部分です。
 文句を言う孔明が悪いのか、それとも、文句を言われる二代目の国王が悪いのか、ということです。王様には確かに、賢明な判断力が求められるものです。しかし、孔明は大臣であるのです。確かに、実質的には、二代目の国王よりも、孔明の方が偉い人物です。しかし、大臣が国王に文句を言うことは、許されるのか、どうなのかが問題です。孔明の場合は、一代目の国王の、許可を得ているのです。孔明は、国民のためにも、一代目の国王のためにも、二代目の国王に対して、文句を言う権利があるわけです。その孔明の文句を、二代目の国王は、しっかりと聞かなければなりません。








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