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土曜日

現代の思想




キェルケゴールの「不安」について


 土曜日は、現代の思想を考えます。今日の題は、キェルケゴールの「不安」について、です。キェルケゴールは、現代の実存主義に大きな影響を与えた人物です。
 キェルケゴールの「不安」は、キリスト教の、罪の意識と密接な関わりがあると考えられます。キェルケゴールは、「不安」の気持ちから、キリスト教信仰の道へ進む、ということです。キェルケゴールは、キリスト教の信仰と、人間の不安とを結び付けるのです。キェルケゴールは、キリスト教の信仰に関して、人間が抱く感情である「不安」に焦点を当てているのです。
 そのようにキェルケゴールが考えることになる理由として、彼の生きた時代背景を考えられるのかもしれません。キェルケゴールの時代では、宗教の信仰よりも、科学的知識の方を人々は信じる時代に変化していたのです。宗教を信仰することは、時代遅れのような雰囲気だったのです。科学が流行する時代であったのです。科学の目覚しい進歩と発達とが、人々の宗教に対する意識を変化させたのです。中世の西洋では、宗教は多くの人々に支持されていました。それが、近世の時代に進むと、次第に人々の心は宗教から離れるようになるのです。宗教の原則としては、神を信じることです。しかし、時代の変化によって、神よりも、人類の力を人々は信頼するようになったのです。古い時代は、神の絶対的な力の前では、人間は無力なものであると考えられていたのです。しかし、時代が近世から現代にまで移行すると、人々は人類の力を評価するようになるのです。学校で勉強する内容も、宗教的な内容から、科学的な内容に変化していたのです。時代は、人間の力を重視する時代に移るのです。キェルケゴールの時代に入れば、人々の宗教心は、より一層弱くなるのです。そして、人々の宗教心が弱まるのとは反対に、人々の科学への信頼感が増大するのです。そのような時代の中で、キェルケゴールのキリスト教の信仰も、現代的な特徴を示すようになるのです。
 キェルケゴールの時代は、科学的な学問が発達していた時代です。そのため、キリスト教の教説の理解のために、発達した学問の成果を導入するべきなのです。キリスト教を解釈する場合は、最新の学問研究の成果を取り入れるべきなのです。人々にキリスト教の大切さを理解させるためには、その時代の変化に対応した態度が必要なのです。時代に対応した解釈ができなければ、人々の信頼を得ることができません。キリスト教の信者も、その時代の最新の学説に対応できる能力が求められるのです。そして、キェルケゴールは、キリスト教の解釈に、当時の学説の意見を取り入れたのです。キリスト教の信者も、その時代の人々と、交流ができなければ、人々からは受け入れられないのです。
 キェルケゴールの時代の人々は、人間中心主義の考え方を持つのです。人間中心主義であり、そして、個人主義の考え方でもあります。キェルケゴールの時代は、個人の能力を大切にする考え方なのです。そのため、個人の権利を尊重する意識も、大きかったのです。個人の権利は、尊重しなければならないのです。そのような時代の中では、個人に宗教を強制的に押し付けることは認められません。人間には、宗教信仰の自由の権利が要請されるのです。無理矢理に宗教を信じさせる態度は、人々に反感を持たれます。外からの圧力で、宗教心を人々に押し付けることができない時代なのです。権威の力では、人々は宗教を信じないのです。人間中心主義、個人主義の時代です。そのような時代では、個人の権利を尊重した上で、宗教を人々に広めなければなりません。人間と、そして個人を大切に扱うのです。そのため、宗教に対する人々の理解を得るためには、各個人の心の自発性に訴えかけるべきなのです。外部から、宗教を強制的に詰め込んではならないのです。各個人の内的な心に理解を求めなければなりません。各個人の、自由な宗教心を大切にするのです。
 そのため、キェルケゴールのキリスト教の解釈にも、その時代の人々に反感を持たれないような配慮が見られるのです。キェルケゴールは、キリスト教の信仰を人々に強制しない考えなのです。キェルケゴールは、キリスト教を人々に信じさせるために、強引で乱暴な主張をしないのです。キェルケゴールは、人々の、心の内部に訴えかけるのです。各個人の、心の自発性をキェルケゴールは尊重するのです。そして、そのようなキェルケゴールの態度は、科学の発達した時代、そして個人主義の時代を生きる、多くの人々からも、反感を持たれないのです。キェルケゴールの、キリスト教に対する誠実さが、人々の共感を得るのです。科学主義、個人主義の時代の中であっても、キェルケゴールのキリスト教信仰が、人々に受け入れられるのです。それは、キェルケゴールの、信仰の態度が良かったからです。
 キェルケゴールは、人々に、自分の教説を押し付けることがないのです。キェルケゴールの、不安に対する考え方は、現代の人々の多くの理解を得るものです。それは、キェルケゴールの意見が、心理学説に基づくものだからです。キェルケゴールは、現代の心理学説を、自分のキリスト教の解釈に取り入れているのです。そのため、現代の人々の間にも、キェルケゴールの主張は受け入れられるのです。そしてまた、キェルケゴールは、現代の人々のように、個人の人間を大切に考えるのです。キェルケゴールも、現代という時代の常識をわきまえた人であったのです。キェルケゴールは、古い時代の考え方で凝り固まった人では、ありませんでした。つまり、キェルケゴールのキリスト教の解釈には、現代的な新しい部分が見られる、ということです。
 キェルケゴールのキリスト教解釈は、現代の個人主義、自由主義、科学主義の時代に対応している、ということです。それは、キェルケゴールが、人間の罪の意識と、不安の気持ちとを、結び付けて考えることによって、成立する主張なのです。キリスト教では、人間は原罪を持って生まれて来たと考えます。その原罪の考えが、キリスト教の深い部分なのです。キリスト教の深層部分には、人間の原罪の教えが存在するのです。そしてまた、現代の個人主義、科学主義の時代に生きる人々の心の中にも、不安な気持ちが存在するのです。キリスト教の信者も、人間の原罪を悩んでいました。そして、現代の人間も、不安の気持ちを抱いているものです。それは、キリスト教の信者にも、現代の人々にも共通する感情なのです。現代の人々も、不安を抱いている人は、罪の意識を持っているものです。罪の意識を消すことができないために、不安を抱くことが多いのです。キェルケゴールは、個人の中の、「不安」を観察するのです。その、個人の中の不安の生成の中に、キェルケゴールは、人類の、普遍的な問題を発見するのです。キェルケゴールは、人間の内部の、不安に迫るのです。そこから、キェルケゴールは、キリスト教の教えを現代に生かす考え方を発見するのです。それは、各個人が、自分の心の中に、自由な態度で発見できるものです。個人の心が大切にされているのです。各個人の心の主体性を大切にするので、現代の時代にも対応しています。








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