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月曜日

日本の思想




加藤清正という人物について


 月曜日は日本の思想の日です。今日は、加藤清正という人物について考えます。加藤清正という人は、日本の戦国時代を生きた人です。戦国時代を生きた人であり、その上、武将という身分で生涯を送った人です。
 武将という身分の人は、確かに、大勢の家臣たちから、守られてはいます。しかし、武将であるのですから、目立ちやすく、敵から標的にされやすい存在です。武将という身分で生活を送る上では、常に身の危険にさらされているのです。家臣たちから守られるという部分も確かに考えられるのですが、しかし、やはり敵からすれば、一番の標的目標となるのです。つまり、加藤清正を倒さなければ、部下をいくら倒しても終わらないということです。加藤家を潰すには、加藤家に仕える家臣たちをいくら狙ったとしても、加藤家を潰すことはできないのです。そのため、加藤清正は、加藤家を狙う敵からは標的にされ、常に危険にさらされているとも考えられるのです。戦国の武将として生きる人生というものは、非常に厳しいのです。確かに、自分に従う家臣が存在します。しかし、家臣の存在などは、ほとんど頼りにしてはならないのです。自分の身は自分で守らなければ、戦国時代の武将としては生きて行くことはできません。
 戦国時代を生きるには、武将として生きるよりも、武将に仕える家臣として生きる方が、気楽に生きられるのかもしれないのです。戦国時代の世の中で、武将の身分であるということは、危険この上ないことです。独りで外出などはできません。自分の命を守るために、自分は自分自身の気持ちを、常に引き締めていなければなりません。武将の身は武将自身で守るという姿勢が基本です。自己管理すらできないような武将には、そもそも、家臣は付き従いません。味方からも見離されるのです。逆に、家臣から命を狙われることになるのかもしれません。武将は常に厳しく、自分の気持ちを引き締めていなければならないのです。武将として生きるのは厳しいのです。
 そしてまた、加藤清正という武将を、世間一般の人が思い浮かべる、大金持ちのような人と同じように考えてはなりません。加藤清正は、節制に努めるのです。贅沢を禁止するのです。加藤清正は、確かに、貯金は多くあったのかもしれません。しかし、その多くためた貯金を、全然使わないのです。収入以下の範囲で生活をするのです。貯金ができる生活です。加藤清正は倹約に努めているのです。貯金は多いようなのです。しかし、貯金を使うようなことが普段の生活ではありません。緊急の出来事が起こった時に貯金を使うのです。そのため、加藤清正は、普段の生活を行っている限りでは、貯金はたまる一方だということです。しかし加藤清正は、貯金が目的で、倹約生活に励んでいたものでもないと考えられるのです。
 その加藤清正の倹約生活については、加藤清正という人物全体を考えることで理解できるものなのです。加藤清正の倹約生活を、短絡的に、貯金目的とだけに結び付けてはなりません。加藤清正の倹約生活の目的は、その倹約生活自体が目的であったと考えられるのです。つまり、その生活自体が、武将としての修行となっているのです。常に倹約に努めることで、武将としての精神が鍛えられているのです。節制に努めることで、精神が強くなるというわけです。節制に努めることにより、自分の欲望に打ち勝つ強い心が形成されるのです。自制心が養われるのです。強い自制心がなければ、武将を続けて行くことはできません。つまり、加藤清正の場合は、自分の立場、役割というものを考えれば、贅沢などはできない身分だったのです。贅沢を行えば、気持ちがたるんでしまいます。武将の気持ちがたるめば、家臣たちからは見離され、敵からは簡単に襲われてしまうのです。決して倹約生活は、貯金だけが目的ではなかったのです。倹約生活自体が修行となっていたのです。修行を怠れば、武将としての役目を果たすことができません。武将としての任務を遂行することができないのです。武将には武将としての、責任や、使命があるのです。加藤清正は、加藤家も守らなければなりません。贅沢をすることなどは考えていられないのです。
 加藤清正が日常生活で行うべきこととは、贅沢などではありません。武芸に励むことです。剣道に弓道です。そして、学問ということです。その学問の内容というものは、人の道を学ぶものです。加藤清正の場合は、男であるので、人の道でも、男の道を学ばなければならないということです。男が女の道を学んではなりません。男の道と女の道とは違う道であると加藤清正は考えているのです。加藤家の家臣として仕える身でありながら、もしも女の道を歩んでいたとすれば、その家臣は加藤家からは追い出されるのです。男女差別です。男と女とは、生きる道が違うのです。男は武芸に励むのです。男はとにかく、何事にも強くあらねばならないということです。男で弱々しく生きる人は、加藤家の家臣からは追い出されます。弱々しいのは女だということです。
 つまり、加藤清正は、武将として、自分自身に厳しく生きていたということです。人の道、男の道を生きていたのです。それは常に、修行の人生であるということです。武将としての地位や身分よりも、武将としての能力を重視するという姿勢です。武将としての働きが悪いようであってはならない、ということです。つまり、男は合戦の中で成果を収めなければ、男ではないということです。「恥をさらすな」ということでもあります。男として生きる上で、何が恥となり、何が栄誉となるのかについては、それは学問をしなければ、凡人には分からないということです。そのため、加藤清正は日々、学問に励んでいたのです。しかし、決して、学問だけを行っていた学者ではありません。文武両道の人です。剣道、弓道、乗馬の訓練も行っていました。








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