トップページへ                東洋の倫理・道徳ページへ




水曜日

東洋の倫理・道徳




韓文公の「争臣論」について


 水曜日は、東洋の倫理・道徳の日です。今日の題は、韓文公の「争臣論」について、です。韓文公は、中国の唐の時代に活躍した有名人物です。
 韓文公は、韓愈の名前で広く人々に知られています。韓文公の「争臣論」は、国の役人に対して、韓文公が批判を行ったものです。韓文公に批判される国の役人は、王様を戒める任務を持った役人です。その役人が、王様を戒める気配のないことに対して、韓文公は批判します。その役人は、職務に就いてから数年もたつのにも関わらず、全然王様を戒めていません。韓文公は、その役人が公然と王様を戒めることを期待しています。王様を戒める言動は、世間に広く公開されるべきであると韓文公は考えています。世間に秘密にされるような形で王様を戒めたとしても、その役人は職責を果たしているとは認められないのです。その役人は、世間の人々に分かるような形で王様を戒めるべきであると韓文公は主張します。
 確かに、王様を戒める役割を持っている臣下は、その役割通りの働きをするべきであると考えられます。その役人は、俸禄を受け取っています。給料を貰っているからには、何らかの働きが必要です。給料を貰うだけで働きのない役人は、腐敗官僚であると認められます。腐敗官僚にならないためには、自分の職分に見合った働きをするべきです。しかし、職責を果たす行動をとる場合、王様を戒めなければなりません。王様を戒めれば、王様の気分を悪くするかもしれません。臣下としては、王様の意見に従う必要があります。臣下は、王様に逆らってはなりません。王様に逆らう臣下は、自分の身分を誤ってとらえています。王様を戒めることと、王様に反逆することとは異なります。王様に対する臣下の戒めの言動は、王様の政治の成功を願ってのことであるべきです。王様の政治のために、王様を戒めるのです。王様の政治に悪い部分があれば、その悪い部分を指摘する人物が、本物の臣下です。臣下は、王様の政治の成功を願うべきなのです。
 悪い臣下は、王様の政治のことを考えない臣下です。そのような臣下は、王様のことよりも、自分のことを考えています。王様の政治よりも、自分の保身を考える臣下が悪い臣下です。王様を戒める役割を持った臣下は、自分の保身を考えて、王様を戒めない態度をとることも考えられます。王様を戒めた結果、臣下の身分を解雇されるかもしれません。王様を侮辱するような言動をとる臣下では、王様から憎まれてしまいます。臣下は、王様の名誉を傷付けてはなりません。王様にも、人間としての感情があります。その王様の感情を悪くすれば、臣下の身分を維持できる保障はありません。現代においても、名誉毀損を争う裁判事件が起こっています。王様の政治にも、世間に対する名誉があります。王様の政治には、民衆からの信頼が必要です。民衆の大きな支持のためには、王様の政治の名誉が守られている必要があります。名誉が損なわれれば、王様の政治を遂行する上で支障を来たします。世間からの名誉を守るのであれば、世間には公開されない形で臣下は王様に対して戒めの言動をとるべきです。臣下は、非公開の形で王様を戒めるのが常識です。韓文公は、王様が世間に公開された上で戒められるべきであると主張しています。韓文公は、王様の戒めの世間への公開を望んでいます。
 もしも、臣下が王様の戒めを世間には秘密にする場合、どのようなことが考えられるでしょうか。その場合は、民衆には秘密の会議が行われることになります。王様が、世間体を気にするのです。それは、情報公開を拒否する態度です。王様の政治の欠点を、王様が覆い隠すのです。王様の政治に欠点があれば、王様の政治の名誉に傷が付きます。たとえ欠点が事実であったとしても、それを隠すことで名誉を守るのです。世間に対しては、何ら問題がないように取り繕うのです。実際は、多くの政治上の問題を抱えています。それは、情報操作というものです。都合の良い情報だけを世間に知らせる行為です。自分の名誉を傷付けるような、都合の悪い情報は、世間には流しません。そのような政治を行う場合、何か問題を考えることができるでしょうか。その政治の利点は、王様の政治の名誉が守られることです。名誉が守られれば、政治に対する民衆の信頼感は保持されます。そのため、国内の民衆の混乱を避けることができます。王様の政治の名誉を守ることにより、国内の混乱を防止することができるのです。民衆は、政治を批判しようにも、批判すべき点を知らされないので、政治への批判行動を起こしません。政治を行う上で、自分の政治の欠点を包み隠さず表せば、その欠点が批判の対象となります。それは、自分で自分の弱点をさらけ出すことです。弱点をさらけ出すことは、敵にとって好都合となります。国内の中には、自分の政治に反抗的な、多くの敵が潜んでいるかもしれません。敵にとって利益となるような情報を流すべきではありません。自分の政治の欠点を明かすことは、自分の不利になる行為であると考えられます。自分の不利になる情報を、覆い隠すことにより、有利に政治を行うことができます。自分にとって都合の悪い情報を秘密にすれば、自分の環境を有利な状態にすることができます。
 しかし、王様が欠点を覆い隠す政治方針をとった場合、王様にとって危険な状況を招く恐れも考えられます。それは、腐敗政権の状況です。腐敗政権は、官僚たちの保身の態度から起こります。情報を公開することによって、風通しを良くすれば、腐敗を防止することができるのです。情報を秘密にすれば、風通しが悪くなり、腐敗が発生します。情報を秘密にする理由は、自己の保身のためであると考えられます。政治家たちが、民衆のことよりも、自分たちの身分のことを考えるのです。まず、王様の臣下が保身の態度をとります。自己を保身する態度をとれば、臣下は王様を戒めません。王様を戒めたことが原因で、自分の臣下の身分を失うかもしれません。王様を戒めるよりも、王様を戒めない方が、自分の保身にとっては安全であると考えられるのです。安全策をとる臣下は、王様を戒めません。そのような臣下は、王様の政治のことも、民衆の生活のことも真剣に考えていません。そして、臣下だけでなく、王様も自己の身分の保身を考えるようになれば、益々、情報の公開されない事態を招きます。都合が悪い情報を、臣下と王様で覆い隠すのです。そして、情報を覆い隠した結果、腐敗政権が発生することになります。腐敗政権では、臣下も王様も、民衆のことを考えていません。腐敗政権では、民衆の生活よりも、政治家自身の生活の方が優先されます。政治家が、政治家のための政治を行うのです。
 腐敗政権では、長続きしません。腐敗政権は、結局は崩壊する運命にあります。腐敗政権は異常な政権です。正常な政権が長続きする政権です。つまり、正常な状態の政権の運営が、家臣と王様の、本当の自己保身の行動なのです。本当に家臣と王様が自己保身を考えるのであれば、腐敗政権を事前に防ぐ対応をとるべきです。腐敗政権を防ぐためには、情報公開の風通しを良くすることです。そのため、王様への臣下の戒めは、世間に対して公開されるべきであると考えられるのです。王様への臣下の戒めが、秘密にされることから政権の腐敗が始まるのです。情報を非公開にする態度は、逆に政権を危機に陥れます。都合の悪い情報を隠す事が許されれば、都合の悪い現実を招くことに対して、抵抗感がなくなります。都合の悪い現実が起こったとしても、その出来事の情報を隠せば、世間の批判を浴びることはありません。事実を隠す態度から、悪い現実を許す姿勢を形成することになります。「悪い現実が起こっても、その出来事を隠せば済むものだ」という考え方です。つまり、情報の非公開の態度から、腐敗政権が発生するのです。韓文公の考え方のように、王様に対する戒めは、公開されるべきであるのかもしれません。








トップページへ                東洋の倫理・道徳ページへ






当ホームページ内の文章の引用・転載を禁止します。(C)matsui genemon.