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土曜日

現代の思想




ハイデッガーの「現存在」について


 土曜日は、現代の思想です。今日の題は、ハイデッガーの「現存在」について、です。ハイデッガーは、サルトルと並び、現代の思想では有名な人物です。
 ハイデッガーの「現存在」というものは、「現在の存在者」というような意味です。その、「現存在」は、世界の中に存在しています。そしてその現存在が、世界の中で、自己決定をしながら生きるのです。現存在は、世界の中の存在者ということです。ハイデッガーが特に問題とするものは、存在についてです。人間の認識については、特別にハイデッガーは問題に考えていません。認識論よりも、存在論をハイデッガーは重要な問題として扱っています。「存在」についての問題こそが、ハイデッガーという人物が問題とした対象であったのです。
 ハイデッガーの「現存在」の言葉は、「存在者」という言葉とは、区別されるものと考えられます。「現存在」が、「存在者」を作る、決める、ということなのです。「現存在」は「存在者」の根拠となっている存在のようなものです。「現存在」の創造によって、「存在者」として生まれる、というような考えです。確かに、「現存在」も、「存在者」ということです。しかし、「存在者」は、「現存在」が造っているのです。「存在者」は、「現存在」に造られているわけです。それは、時間における、過去、現在、未来のようなものです。「現存在」は、現在の存在というわけです。「存在者」は、現在よりも、過去において確認できる存在ということでしょうか。それはまた、例えば、足跡で考えられるのかもしれません。足跡を作るものが「現存在」であり、作られた足跡が「存在者」です。
 そしてまた、自分という存在についても考えられます。自分というものは、存在者であると考えられるのです。しかし、その自分という存在者は、自分の現存在が造ったものであるのです。自分という存在者は、自分の現存在が創造したものなのです。自分の現存在による決定が、自分という存在者を造るのです。つまり、自分という存在には、「造る自分」と、「造られる自分」とが考えられるというわけです。「造られる自分」は、「造る自分」に造られたのです。自分という存在者は、自分の現存在が生み出した産物なのです。自分という存在者は、自分の現存在を生み出すことはできません。存在者と現存在の前後関係は逆にはならないのです。現存在は常に存在者の前にあります。現存在が前であり、存在者は現存在の後になります。
 そのように考えれば、世界の中に存在している、真の存在者というものは、「現存在」であると考えられるのです。世界の中には、様々な存在者が多数存在しているものです。しかし、それらの存在者を生み出すものは、存在者の「現存在」なのです。「現存在」が存在者を創造しているのです。創造するものと、創造されるものとの関係は、逆にはなりません。そしてまた、創造されるものに、命はないとも考えられるのです。生きている存在とは、創造する存在だということです。自分で活動できる存在が、生きているのです。そのように考えるのなら、世界の中で本当に存在する存在者というものは、「現存在」なのです。「現存在」こそが、世界の中に存在する存在者の実体であるのです。「現存在」は存在者の真の主役だということです。確かに、「現存在」は、存在者であるのにも関わらず、その姿も形も見ることはできないものかもしれません。しかし、本当の存在者とは、「見る」主体であり、「見られる」客観では、ないのではないでしょうか。そしてその、「見る」主体こそが、現存在なのです。見られたものは、現存在が通過した後のものです。確かに、存在者を見ることはできるのです。しかし、その、見ることのできる存在者とは、現存在が生み出した存在なのです。つまり、存在者としての支配権を握っているものは、存在者の「現存在」であると考えられるのです。
 そのため、世界の中で、主体的に生きるものが「現存在」であるのです。「現存在」が世界の中で生きる存在者の主体となっているのです。現存在が活動する本体であるのです。その現存在の性質として考えられるものは、自由です。自由であり、また、自己を乗り越える、超越性であるとも考えられます。現存在は、現存在を乗り越えられるということです。つまり、何事も可能性はある、ということです。物事を限定的に考えてはならない、ということです。なぜなら、現存在の性質として、自己を乗り越える性質が備わっているからです。一度の失敗で、自分には無理であると決め付けてはならないのです。現存在は、変化する存在なのです。現存在は、固定的な存在ではありません。現存在に自由は常に残されているのです。物事を決める主体は現存在にあるということです。
 そして、世界を決めることも、現存在の役割であるとも考えられるのです。現存在は自分の世界を決められるのです。どのように、現存在は自分の世界を決めるのでしょうか。それは、ハイデッガーの考えによれば、現存在の、気分であるということです。気分で世界が変わるというわけです。気分が変われば世界も変わるということです。つまり、気分を変えましょう、ということです。気分を決めることも、現存在が決めることなのです。気分を変えることは世界を変えることにもつながるのです。そのため、現存在は、気分をより良い方向へ保つように努力をすべきです。現存在は自分の気分を変えることで、今の自分の世界を変えることができるということです。それは、現存在の自由です。現存在が自由に、現存在の世界を変えられるのです。
 つまり、世界が現存在に与えられているわけです。そして、現存在は世界の中で、世界の主体として存在するのです。その場合、世界は現存在の素材であるということです。そしてその素材を、現存在が加工するのです。その加工した世界を、現存在は見ているのです。自分が加工した世界の中に自分で住んでいるということです。自分が建てた家の中に、自分で住んでいるということです。自分が建てた家の中に、その自分が住むことになるのです。自分は世界の設計者なのです。住み心地の良い家に住めるのかどうかは、現存在である自分の行動に左右される、ということです。今、自分の世界が悪いようでも、それは変化させることができるのです。現存在が持つ、自由と自己超越の性質を考えれば、世界を変えることは可能なのです。現存在の持つ可能性は大きなものであることを自覚するのです。








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