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土曜日

現代の思想




ドゥルーズの「差異」について


 土曜日は、現代の思想の日です。今日の題は、ドゥルーズの「差異」について、です。ドゥルーズは二十世紀に活躍した思想家として有名な人物です。
 ドゥルーズの特徴的な考え方は、「差異」を重視することです。ドゥルーズは、差異を重視することによって、西洋の新しい考え方を主張します。西洋の歴史ある考え方では、差異を重視する姿勢を持っていなかったとドゥルーズは考えます。現代を生きる人々は、「差異」の考え方を大切にするべきであると、ドゥルーズは主張します。今までの西洋の歴史では、差異を大切に考えなかったのです。
 物事に対して「差異」を考える場合、「同一」のことを考えるべきです。そして、「同一」のことを考える場合、「不同」のことも議題に上がるものです。そしてまた、原型と模型との関係に対しても考えをめぐらすべきです。それは、本物と偽物の関係にあるものです。その場合、本物が原型と、そして偽物が模型と対応しています。西洋の歴史では、原型を本物であると考えて、尊重していました。そして、模型は、原型に対する偽物であるとして、高い価値を与えませんでした。西洋の歴史では、本物には肯定的であり、偽物には否定的だったのです。その考え方は、西洋だけでなく、東洋においても常識的な考えです。人々は、偽物よりも本物を大切に扱います。そして、本物と偽物との関係は、原型と模型との関係にあるようなものと人々は考えます。その考え方では、「同一」か「不同」かが問題となっています。それは、本物か偽物か、どちらか一方を選び取る態度を持っています。その考え方においては、本物か偽物か、また、原型か模型かが問題となっています。ドゥルーズは、「差異」を重視する考え方によって、二元的な考え方を打ち壊すのです。物事に対して、同一性を重視する考え方は、二元的な考え方なのです。同一性を重視する考え方は、同一か同一でないかが問題となります。ドゥルーズの考え方は、同一性を重視するものではありません。
 ドゥルーズは、物事に対して、「差異」を重視する姿勢を持ちます。そのようなドゥルーズの考え方は、二元的な考え方ではなくて、多元的な考え方であると思われます。ドゥルーズは、物事の多元的な価値の重要性を認めるのです。物事の多元的な価値を認める姿勢が、ドゥルーズの「差異」を重視する考え方に表れています。二元的な考え方では、どちらか一方に対して優劣を決めることになります。二元的な考え方が、西洋において歴史のある、同一性の考え方です。同一性の考え方では、同一と不同とを問題にします。ドゥルーズは、同一性の考え方とは異なる、新しい考え方を主張します。同一性の考え方には、常に否定が含まれているのです。ドゥルーズの考え方は、物事に対して肯定的な考え方なのです。同一性の考え方の中にある問題点は、否定が含まれていることです。ドゥルーズは、同一性の考え方の中にある、否定的な部分を見逃しません。ドゥルーズの新しい考え方は、否定を否定する、肯定的な考え方です。西洋の歴史では、同一性の考え方を行っていたのです。それは、二元的な考え方であり、また、その中には否定的態度を含んでいます。「本物か偽物か」という二元的な考え方では、人々は常に本物を追求することになります。二元的な考え方においては、人々は、確かに本物に対してであれば、肯定をします。しかし、偽物に対しては、人々は否定します。二元的な考え方に対しては、表と裏があることに注意する必要があります。二元的な考え方の持つ、表の面だけに惑わされてはなりません。二元的な考え方には、裏の面が存在しています。裏の面は、肯定に対する、否定に当たる面です。ドゥルーズの考え方においては、多元的価値が認められています。そのため、二元的な考え方の中にある、否定的な側面がドゥルーズの考え方にはありません。同一性の考え方の中には、否定的な面が含まれているのです。ドゥルーズは、表だけではなくて、裏側の面をも見逃さなかったのです。
 ドゥルーズの考える「差異」は、質的な異なりを、比較する他の事物との間で考えています。ドゥルーズの「差異」は、比較する他の事物との間に質的な相違が考えられています。二元的な考え方の場合は、比較される二つの事物を同質であると考えるものです。同一性の考え方では、比較される事物の質は同質であるとされるのです。二元的な考え方は、事物を同質、同類であると認めた上で考えを進めているのです。原型と模型とを考える場合も、原型と模型との間には、何らかの同質性を認めるのです。原型と模型との間に、同じ種類の属性を二元的な考え方では認めています。しかし、ドゥルーズの考え方では、比較される事物の間には、質的な差があるのです。ドゥルーズは、比較される相互の事物に、質的な差を考えます。質的な差があるため、同一ではないのです。質的に異なっている場合は、通常であれば、比較を考えないものです。ドゥルーズの考え方に従う場合は、質的に異なっている事物であっても、比較ができるのです。ドゥルーズは、質的に異なっている事物の間の比較を行うのです。事物の間の差異を重視するドゥルーズの考え方であれば、それが可能となります。
 ドゥルーズの考える、「差異」のある事物の間は、類似している必要がないのです。比較対象となっている事物には、それぞれの間で類似性が必要ないのです。類似性がないのにも関わらず、比較することができるのです。原型と模型との間には、類似性があるものです。それは、原型から模型が生まれたからです。模型は、原型から発生したのです。そのため、模型は、何らかの原型の類似性を持っているのです。ドゥルーズの考える「差異」は、原型と模型との関係にある、外の事物において見出されています。原型と模型とは、つながりのある事物です。ドゥルーズは、原型と模型との関係の外にある事物においても、それらの関係を考えています。原型と模型とであれば、強い関係があると認められます。ドゥルーズは、原型と模型との関係に関連した事物であっても、原型と模型との関係につながりを持たせるのです。原型と模型との関係に関連した事物は、原型とも、模型とも、類似性を持たないことが許されます。原型と模型とであれば、相互に類似性を有しています。しかし、原型と模型との関係の外にある事物は、原型とも模型とも類似性を有しないのです。そのような、原型と模型との関係の外にある事物をドゥルーズは大切にするのです。古い西洋の考え方では、原型と模型との間の関係だけに注目していたのです。ドゥルーズは、原型と模型との関係の外にある事物に対しても、それを軽視することがないのです。原型と模型との関係は、正式な関係であるとも考えられます。原型と模型とは、相互に強く関係を持っているのです。ドゥルーズは、原型と模型との間の、正式な関係から外れてしまっているような事物を重要視するのです。原型から模型が発生した時には、原型と模型との間に、正式な類似関係も発生することになります。そしてまた、その際には、原型とも模型とも類似性のない事物も発生している場合があります。ドゥルーズは、原型と模型が発生する際において現れる事物も大切に考えます。その、原型と模型とから外れてしまった事物に対して、ドゥルーズは差異を考えるのです。原型とも模型とも類似性のない事物と、それらの関係の間にドゥルーズはつながりを考えるのです。それらの関係には、差異があります。ドゥルーズは差異を大切に考えるので、差異による関係も認められるのです。原型と模型、そして、本物と偽物とだけの関係を考えるような狭い考え方をドゥルーズは否定するのです。ドゥルーズは、偽物の偽物であるようなものをも大切に考えるのです。偽物の偽物をドゥルーズのように肯定することができれば、人間は物事を広く考えることができます。「本物か偽物か」という、二元的で固定的な見方をドゥルーズは打破しました。








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