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火曜日

西洋の思想




ダーウィンの「進化論」について


 火曜日は、西洋の思想の日です。今日は、ダーウィンの「進化論」について考えます。ダーウィンは、近代の生物学者として、現代にも大きな影響を与えている人物です。
 ダーウィンは生物学者です。その生物学者の観点から、ダーウィンは人間の存在を考えます。ダーウィンは、人間は猿から進化した生物であると主張します。その説は、ダーウィンの「進化論」として有名なものです。しかし、進化論は、ダーウィンが独自に考えた説でもありません。進化論の説は、当時の生物学者たちの間でも考えられていた説です。そしてまた、ダーウィンの時代では、科学の発達していた時代であったので、人々の間にも、人間を猿と同類の動物であると考える雰囲気があったのかもしれません。ダーウィンの時代は、宗教の時代の雰囲気ではなかったのです。「神は人間を他の動物と差別して、特別に創造した」という宗教の説に対して、人々が疑問を感じるのです。人々が、宗教の説よりも、科学の説の方を信じるのです。ダーウィンの主張は、当時の時代の雰囲気を反映していたのです。ダーウィンの場合は、他の生物学者たちよりも、強く進化論を主張したのです。そのため、進化論はダーウィンの説であるとして有名になったのです。ダーウィンの強引さが、人々に受け入れられたのかもしれません。進化論を主張する場合には、「絶対的真理である」という、信念を持って発表することが、有名人物となることのできる条件です。進化論のことを、仮説であると考えながら発表する生物学者では、有名人物となることはできません。ダーウィンの場合は、人間が猿から進化した動物であることを信じて疑わないのです。当時の間の人々も、宗教の説に対しては、批判的な考え方を持っていました。当時の時代の人々の流行を、ダーウィンはとらえたのです。ダーウィンは、進化論を、仮説ではなく、絶対的真理として主張しました。ダーウィンの、堂々とした態度が、進化論をダーウィン独自の主張であるとして、人々に認知させたのです。ダーウィンの場合は、進化論を仮説であるとは考えないのです。
 一般の人であれば、人間が本当に猿から進化した動物であるのかどうかは、分からないものです。猿から人間が生まれた、実際の現場を見た人はいません。一般の人も、一般の生物学者も、進化論を信じることに対しては、少なからず不安を感じるものです。しかし、ダーウィンの場合は、進化論を絶対に正しい説であると考えるのです。そのため、ダーウィンの進化論は、他の生物学者の進化論とは異なるものと考えられるのです。当時の一般の生物学者たちの主張する進化論は、仮説として主張する進化論です。しかし、ダーウィンの主張する進化論は、発表者が真理であると信じて疑わない進化論なのです。
 ダーウィンの進化論は、人間の、生物としての面を重視します。ダーウィンは生物学者です。生物には、進化の歴史があるとダーウィンは考えます。全ての生物に、進化の歴史があります。最初は、ゼロからのスタートです。そして、地球にも歴史があります。その地球の歴史と共に、生物も進化の歴史をたどるのです。最初から、生物の種類の中に人間が存在していたのではありません。人間は、生物の進化の歴史の中で生まれたと、進化論では考えます。進化論では、生物の進化を考えるのです。生物を、進化する存在であると考えるのです。まず、ダーウィンの進化論の内容は、その名前の通りに、「生物は進化するものである」と考えます。生物は、将来、時間がたてば、進化する存在であると考えます。現在の生物は、過去の生物が、進化した生命体であると考えられます。そして、人間も生物であるので、過去の生物の進化形態を、人間であると考えるのです。人間は生物であり、猿も生物です。そして、生物は進化する存在であるので、人間は、猿が進化した存在であると、進化論では考えます。
 そして、ダーウィンの進化論の内容は、「生物は進化する」と考えるだけの内容ではありません。ダーウィンの進化論は、生物の進化を考えると同時に、生物の進化の原因を考えます。生物の進化の原因は、生存競争の原理であると考えます。生物は、環境に適応した生物が生き残り、そして進化すると考えるのです。生物は、生存競争をする存在であると、進化論は考えるのです。それは、「全ての生物は進化する」という主張とは、異なる内容です。ダーウィンの進化論の主張では、生物は互いに争い合いながら生きているのです。生物の進化の原理を、戦争であると考えるような主張です。進化論は、戦争によって生物は進化すると考えるのです。その主張は、ダーウィンの進化論と一体の説であり、切り離すことはできません。全ての生物は、競争しながら進化するのです。生物に競争は避けられないわけです。それは、生物の持つ宿命です。生物は進化する存在なのですが、しかし、競争をしなければ、生物は進化しません。ダーウィンの観点の進化論では、生物の進化の原因を、環境適応行動の結果であると考えます。そして、環境適応行動に失敗した生物は、生物の進化の歴史の上から、消え去ることになるのです。ダーウィンの進化論は、厳しい内容を持っています。生物が進化することも、楽ではありません。
 つまり、ダーウィンの進化論には、二つの論点があると考えられるのです。一つは、生物の進化の点であり、そして、生物同士の生存競争の点です。そのようなダーウィンの進化論の説は、それが自然本来の生物の姿であると、主張するものです。そのため、ダーウィンの進化論は、含まれている二つの論点を、肯定する態度であると考えられます。自然本来の姿であれば、否定することはできません。人間は、自然の中に生きています。自然の中で生きていながら、自然に逆らうことはできません。自然本来の姿であれば、肯定すべきなのです。まず、生物は進化する存在です。そして、生物は、生存競争をする存在です。ダーウィンの進化論は、自然本来の姿である、生物の進化と、生物同士の生存競争とを、肯定するのです。
 ダーウィンの進化論を受け入れる場合、様々な問題を考えることができます。まず、人間の平等説に対する問題です。人間の平等説の主張では、人間の生まれた時点の能力を、同じであると考えます。そのため、平等説では、人間を平等に取り扱うべきであると考えます。しかし、ダーウィンの進化論を受け入れた場合、それぞれの人間の進化の状態によって、生まれた時点の赤ん坊の能力に、差異を考えなければなりません。そしてまた、猿は人間へと進化する過程の状態にある生物であるため、猿も人間と平等に取り扱わなければなりません。人間の中にも、多く進化した人間と、猿に近い人間とを考えることができるのかもしれないのです。ダーウィンの進化論を受け入れながら、人間の平等説を主張するのであれば、猿も人間と平等に取り扱うべきなのです。
 また、ダーウィンの進化論は、人間に人生の目的を与えるものです。ダーウィンの進化論は、宇宙の本来の姿として、進化を考えるものです。宇宙全体は、進化の過程の中にあるのです。進化の姿こそが、宇宙の真理であると考えるのです。そのため、人間の人生を考えた場合も、宇宙の真理に合った人生が理想であると考えられます。つまり、人間の人生の目的は、進化することであると考えるのです。宇宙全体が進化しているので、人間の人生の目的も、進化にあります。人間の人生の第一目標は、進化なのです。確かに、進化の目標は望ましいものです。しかし、ダーウィンの進化論には、危険な部分もあります。それは、生物の生存競争を肯定する部分です。進化のためには、競争が必要な部分もありますが、しかし、暴力は否定するべきです。








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