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水曜日

東洋の倫理・道徳




『大学』の「小人間居」について


 水曜日は、東洋の倫理・道徳の日です。今日は、『大学』の「小人間居」について考えます。『大学』は、『論語』に並ぶ、儒教の有名な書物です。
 さて、この、「小人間居」の話には、小人と、君子と、世間の人々、という、登場人物が考えられているわけです。小人は、独りで居る時、良くはない事をする、ということです。そのような、小人の、良くはない行為、というものは、隠すことはできない、というわけです。分かる人には分かるのです。小人が独りの時に行う、悪い行動は、人々の前に出れば、隠すことはできない、ということです。隠そうと努力をしても、それは無駄な悪あがきだということです。外から、その小人の態度を観察すれば、嘘を言っているものなのかどうであるのかは、分かるものだというわけです。言葉だけではなく、態度も外に表現されるのです。その小人の、口先だけで判断されるものではないのです。その小人の、体全身が発するメッセージを、人々は読み取るのです。隠そうと、人々の前で体裁を取り繕ったとしても、分かる人から見れば、お見通しだというわけです。つまり、冷や汗をかきながら、そして顔を赤くしながら、独りで居た時の悪い行動を隠そうとしても、無駄だということです。そして、「なぜ、そのような、無駄な苦労をするのだ」という疑問なのです。隠すことはできないのです。隠すのなら、隠そうとする行為に伴って、緊張する気持ちが生まれるのです。人を騙すことができるのかどうかと思って、緊張するのです。しかし、緊張しながら、苦労して隠そうとしても、隠すことはできない、というわけです。そのような、無駄な行為をすることは、人間として、間違った行為だと考えられるのです。
 つまり、独りで居る時に、悪いことを行わなければ良かったのです。独りの時に、人々に言えないような行為を取らなければ、それで済む事なのです。独りで居る時に、まともな事を行っていれば、人々の前に出たとしても、別に嘘を言ったり、隠す必要はないので、余裕で伸び伸びとしていられるのです。独りで居る時に、しっかりとしていれば、人々の前にも、平気で出られるのです。人々の前でも、広々とした、穏やかな気持ちで居ることができます。それは、隠す事がないからです。正直な心で人々の前に出るので、あせりや不安はないのです。ありのままの自分です。そのような、余裕で人々の前に出られるような人は、人間関係も良好なものになるというわけです。人前に出ても、リラックスしていられるのです。また、隠す事がないため、堂々とした態度で、自分に自信が持てるのです。人前に出た時の心配がないのです。「何を心配することがあるのだ」という、前向きな気持ちです。
 そのような、自信にあふれた前向きな人間になれるのかどうかは、つまり、独りで居る時に、何をしていたのかが重要になるというわけです。「独りで居る時こそ、修行の時間だ」ということです。そのため、君子という人は、独りの時も、人間として間違った行為は絶対にとらないのです。小人の場合は、大勢の人と一緒に居る時間は大切にして、独りで居る時間は大切にしなかったりします。他人の前ではしっかりした行為をするのですが、しかし、独りの時になると、人前では言えないような行為をしたりします。「人前に出た時だけ、その時だけ嘘を言ってごまかせば、それで済む事だ」と、小人は考えたりするのです。しかし、そのような考え方自体が、間違っているというわけです。なぜなら、隠すことはできないからです。つまり、妄想を抱いていることになるのです。「私が嘘を言えば、それを聞いた全員の人が騙される」などという考えは、妄想だということです。現実にはあり得ない、夢の話だというわけです。隠すことはできないのです。それにも関わらず、「隠せるだろう」という妄想を抱いて人前に出れば、どのようなことになるのか、ということです。
 それはつまり、不幸な人間関係が待っていたりするのです。要するに、失敗経験をすることになるのです。だから、その失敗経験を糧にして、失敗した原因を考えるのです。すると、「独りで居る時」が重要だったことが分かるのです。まず、プライベートから改善するべきだったと考えられるわけです。それは例えば、自分のプライバシーが保護されなくとも、自分のプライバシーを自信を持って公開できるような自分になる事こそが重要だったと気付くようなことです。つまり、人間関係の失敗の原因は、自分以外の人間が悪いから、という理由ではなくて、具体的には、自分の時間の使い方が悪かったからなのだ、ということです。自分が独りで居る時に、油断していたのです。油断大敵だということです。自分が独りで居る時の時間の重要性を見落としていたのです。つまり、大勢の人と一緒に居る時間と、自分独りの時の時間とは、つながっているわけです。後であわてないために、自分独りの時に、事前に準備しておきなさい、という教えです。
 つまり、まずは何事も、修身から始まるのだということです。家や社会を良くするためにも、まずは修身だという教えです。プライベートから改善するのです。自分が独りで自由に使える時間の時にこそ、修行をするべきだ、ということです。誰からも見られていないような時にこそ、誰にでも見せられるような行動をするべきなのです。独りで居る時こそ、自分に自信をつけるチャンスなのです。自分独りの時間に、良くない行為をすると、自分自身に対する、自分からの信頼を失ってしまいます。自分自身の自分への評価を低くするのです。つまり、自信のない人間になるのです。それはやはり、誰からも見られていない、自分独りの自由時間の時に、油断していたからです。油断は禁物だということです。厳しい修行の道です。誘惑との戦いです。








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