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火曜日

西洋の思想




コントの実証主義について


 火曜日は、西洋の思想の日です。今日の題は、コントの実証主義について、です。コントは、近代の西洋において活躍した有名人物です。
 コントの実証主義は、コントの生きた時代と関係があります。コントの実証主義を理解するためには、コントの生きた時代背景を考える必要があります。コントの生きた時代は、市民階級が勢力を持ち始めた時代でした。市民階級の勃興が起こっていたのです。コントの時代は、旧勢力が勢力を失い始めていたのです。そして、新勢力である、市民階級が勃興を始めたのです。旧勢力は、特権的富裕階級です。その特権的富裕階級の勢力が、市民階級の勢力に押されるような時代だったのです。コントの時代は、新勢力の目覚しい発展が見受けられる時代だったのです。その時代背景が、コントの実証主義に結び付いています。
 コントの実証主義は、人類文明の発展の歴史が考えられています。人類文明の発展の歴史は、大きく分けて三段階を考えることができます。実証主義の段階は、人類文明の最終段階であるとコントは主張しています。実証主義の文明の段階は、人類文明の三段階目の、最後の段階です。人類文明は、実証主義の段階に到達するべきであるとコントは主張します。実証主義の段階は、人類文明の発展の歴史の最終段階にあると考えられるのです。そのコントの考え方は、市民階級の勢力の意見を擁護するような主張です。実証主義的な文明の社会は、市民階級の勢力にとって、都合の良い社会であると考えられるのです。市民階級は、産業生産力を発達させて勢力を得たのです。実証主義的な文明は、人間の技術力を尊重する文明です。コントの実証主義は、産業革命の時代を支持する内容です。市民階級は、産業革命の技術力によって旧勢力を打倒できたのです。コントの実証主義は、市民階級の勢力にとって都合の良い主張でした。コントの時代は、旧勢力と新勢力とが立場を入れ替えるような時代です。コントの時代は、社会に革命が起こっていたのです。その時代と、コントの学説とが、適合していたと考えられます。コントの時代は、市民階級が主役の時代です。そして、コントの学説は、市民階級の勢力を支援するような内容です。つまり、コントは自分の生きていた時代を、肯定していたのです。コントの実証主義は、時代に対して、否定的な意見ではありません。コントの実証主義によれば、産業革命の時代は否定されるべき時代ではないのです。コントの実証主義は、産業革命を歓迎します。コントは、人類文明の最終段階として、人間の高度な技術力を賛美します。人間の技術力の発達に対しては、否定的な見解をコントはとっていません。
 人類文明の第一段階は、神学的な段階であるとコントは考えます。神学的な段階の人類文明は、迷信にとらわれた文明です。その文明は、人間が宗教の教説に従って生きる文明です。その文明の社会は、宗教を人間たちが信仰することによって成立しています。その社会では、人々が神を信仰しています。宗教の形態には様々な種類を考えることができます。しかし、宗教は宗教であることに変わりありません。コントは、宗教の信仰によって成立する、神学的な段階の人類文明を否定します。神学的な段階の人類文明は、未発達な段階の人類文明であるとコントは考えています。信仰する宗教の種類は関係ありません。宗教の種類を問わず、人間の宗教の信仰をコントは否定します。自然の中に神を考える宗教も、キリスト教の宗教も、コントは宗教の信仰を否定します。宗教の信仰の上に成り立つ人類文明は、三段階ある人類文明の中の、第一段階の文明です。
 そして、第二段階の人類文明を、コントは形而上学的な段階であると考えます。形而上学的な段階の人類文明では、人間は宗教に対して否定的な態度をとります。第二段階の人類文明では、人間は宗教を信仰しないようになります。そして、人々は、宗教の代わりに、人間の理性を尊重します。形而上学的な段階の人類文明は、理性主義の文明です。理性主義の文明では、人々は宗教を理性によって批判します。人間が、宗教の教説に対して疑問を抱くのです。第一段階の人類文明の中では、人間たちは、疑問を抱くことなく、素直に宗教の教説を信じ込んでいました。しかし、第二段階の人類文明の中では、人間たちは宗教を素直に信仰しないのです。第二段階では、宗教に対する、人々の疑問が生じたのです。宗教に対して疑問を抱く人間の能力は、理性の能力です。第二段階では、宗教の神の教説よりも、人々は、人間の理性の教説を信じます。人間の理性の教説を信じれば、人間たちは救われるのです。宗教を信仰するよりも、人間の理性を信仰した方が、救われると人々は考えるのです。第二段階の文明では、人間の理性が強調されます。そして、第二段階の文明の中では、人間たちは、理性能力の使用によって幸福な生活を手に入れようと考えます。人々は、理性的な人生を送ることによって、幸福な人生が得られると考えるのです。理性主義の人生は、幸福な人生であると人々が考えるのです。それは、「人間の理性に従った人生は、間違いのない人生である」という考え方です。しかし、コントは、第二段階の人類文明を否定します。
 コントが第二段階の人類文明を否定することにも、理由があります。まず、第二段階の人類文明の教説は、第一段階の人類文明の教説と大差がないと考えられます。第一段階の文明では、人々は神を信じていました。そしてまた、第二段階の文明であっても、人々は、神のような絶対的な実体を信じています。第二段階では、人々は、理性によって、絶対的な実体を考え出すのです。理性主義の文明の産物である、形而上学的な学説は、宗教の教説と大差がありません。コントは、形而上学の学説を、宗教の教説と同様に、真実ではないと考えるのです。コントは、宗教と形而上学を否定します。コントは、形而上学を真理ではないと考えます。第二段階の人類文明では、人々は真理ではない教説を信じているのです。コントは、第二段階の人類文明の中で信じられている真理の教説を否定します。そして、コントが第二段階の人類文明を否定する理由は他にも考えられます。
 まず、形而上学は真理ではないとコントは考えます。そしてまた、形而上学を信じることは、人間を幸福にもしないとコントは考えます。形而上学は真理ではない上に、形而上学の信仰は人間を幸福にもしないのです。形而上学の成立には、人間の理性能力の使用が必要です。形而上学を尊重する態度には、人間の理性に対する絶対的な信頼があります。第二段階の人類文明では、人間の理性能力を絶対的に考えているのです。しかし、コントは、人間の理性能力は万能ではないと主張します。人間の理性能力が万能であれば、人間の理性によって作られた法律は、人間の社会を幸福に導くはずです。コントは、第二段階の人類文明の社会を、法律の社会であると考えています。第二段階の文明は、法律社会の文明です。人間の理性は、法律を作り出して社会を治めるのです。コントは理性主義の文明社会を、法律主義の社会であると考えます。そして、法律主義の社会は、人々に幸福な生活をもたらしていないとコントは主張します。法律は、絶対的な信頼性のある理性によって考え出されたものです。その法律が、人々に幸福な生活をもたらさないのです。つまり、理性主義の社会に対しては、コントは不信感を抱いているのです。理性が万能であれば、法律主義の社会は人々の幸福な生活を保障するはずです。しかし、法律主義の社会の中では、様々な社会問題が発生しています。それは、人間の理性能力が万能でないことの証拠となるものです。そのため、コントは、第三段階目の人類文明を考えるのです。第三段階目の人類文明は、実証主義の人類文明です。実証主義の人類文明であれば、その教説は真実であり、また、人類の幸福な生活も保障するとコントは考えています。








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