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火曜日

西洋の思想




コヘンの「根源の論理」について


 火曜日は、西洋の思想の日です。今日の題は、コヘンの「根源の論理」について、です。コヘンは独自のカント解釈を行ったことで有名です。
 コヘンの「根源の論理」は、数学的自然科学を尊重するものです。コヘンは、人間の世界を、人間の思惟によって産出された世界であると考えます。コヘンは観念論を主張します。コヘンによれば、人間の思惟が世界を作り出しているのです。そのため、コヘンの考える自然は、人間の思惟による世界です。自然は、人間の思惟に対して現れるものです。自然は人間と離れて存在しているのではありません。自然の世界は、人間の思惟によって産出されたのです。つまり、人間の思惟と自然とが密接に関わり合っているのです。コヘンは、人間の思惟の原理と、自然の法則の原理とを結び付けて考えます。コヘンの「根源の論理」は、世界の存在に対して、人間の思惟を考えるものです。
 コヘンは、自然は人間の思惟と離れてはいない、と考えます。そして、コヘンは世界を自然科学的にとらえます。自然科学の世界は、論理の世界です。コヘンは、論理的に観念論を考えます。コヘンの観念論は、論理的に考えられたものです。コヘンは人間の思惟を世界の根拠であると考えています。そのため、コヘンは人間の思惟を研究することが、世界の根拠を解き明かすことになると考えるのです。世界は人間の思惟が自然科学的にとらえるのです。自然科学の成立は、人間の思惟の形式と関わっています。人間の思惟の形式が自然の世界であるとも考えられます。自然と人間の思惟とが結び付いているのです。
 コヘンの主張では、人間の思惟は存在しています。そして、人間の思惟には論理があります。そのため、コヘンは論理を存在するものと考えます。論理が存在すれば、人間の思惟に現れる自然も存在するものであると考えられます。自然は人間の思惟において現れます。そして、人間は自然を思惟によってとらえます。自然は人間の思惟から離れたものではありません。つまり、人間の思惟の論理は、自然の存在を根拠付けていると考えられるのです。自然の研究を、人間の思惟の論理の研究においてコヘンは見出すのです。人間の思惟の論理を研究することが、自然の存在の根拠を発見することにもつながっているのです。人間の思惟の論理の探求が、自然科学の探求にもなっています。
 コヘンの考える自然科学は、数学的な自然科学です。コヘンは、人間の思惟を数学的にとらえています。人間の思惟は、数学的な論理の形式を持っているのです。人間は、自然科学を数学的な論理形式によってとらえるのです。自然は人間の思惟と離れていないので、コヘンの自然観は数学的なものです。コヘンは自然を数学的にとらえているのです。そしてその自然は、人間の思惟の論理の中に存在します。コヘンにとっては、人間の思惟が世界の全てです。コヘンの主張は観念論です。コヘンの自然は、コヘンの思惟の中に存在しているのです。世界が自分の思惟の中において現れているのです。そして、思惟は数学的な論理形式を持っています。そのため、自分の思惟の中に現れる自然は、数学的な論理形式を持って現れていると考えられるのです。思惟が数学的な論理形式を持っているのであれば、自然も数学的な論理形式を持って人間の思惟の中に現れるのです。人間の思惟は数学的であり、人間の思惟から離れられない自然も数学的であるとコヘンは考えるのです。人間の数学的思惟が自然をとらえる以上は、自然は数学的に人間に現れるのです。コヘンは人間の思惟を考える際には、数学的な形式を重視していました。その数学的な形式が、自然の存在の根拠となっています。
 コヘンは、論理によって存在の根源を見出します。コヘンは、自然を観察して存在の根源を見出すのではなくて、人間の思惟の論理を観察して存在の根源を見出すのです。コヘンにおいては、思惟と存在とが一致しているのです。思惟の論理を研究することは、自然の存在の研究をすることと同じです。自然科学の根源は、自然に目を向けることなく、人間の思惟の論理に目を向けることによって発見することができるのです。人間の思惟の論理の中には、自然の存在の根源があるとコヘンは考えるのです。人間は、自分の思惟の論理を考えることによって、自然の根源を見出すことが可能なのです。それは、人間の外部に真の存在をとらえる態度ではありません。コヘンは、人間の内部に真の存在を考えるのです。人間の内部に、自然の根拠があるとコヘンは考えるのです。人間の内部が、自然の全てであるとコヘンは考えます。世界の全体が、人間の内部に納められています。コヘンの観念論の考えでは、世界は人間の思惟の産物です。
 コヘンは、世界の存在を人間の数学的な思惟に従っていると考えます。人間の思惟は実在するものであるとコヘンは考えました。その実在する思惟に従って、世界も実在するのです。人間の思惟が世界の実在を産出していると同時に、人間の思惟も実在しています。コヘンの考えに従えば、世界の実在は、実在する人間の数学的な思惟が産出したのです。そのため、世界は数学的な法則に従って人間に現れていると考えられます。人間は、自然科学を研究するのであれば、数学も研究するべきなのです。コヘンの観念論は数学の大切さを主張しています。思惟は数学的な論理に規定されています。その思惟が自然を規定しているのです。思惟には自然科学の成立する根拠があります。自然科学の成立の根拠は人間の思惟の論理です。また、自然の実在も人間の思惟を根拠とするものです。世界に対しては、根拠を考えるべきです。コヘンの考える世界の根拠は、数学的な論理形式を持つ、人間の思惟です。数学の論理が世界の根拠なのです。数学が、世界の根拠につながっていたのです。数学は、人間にとって計算問題を解くためだけの学問ではなかったのです。数学が世界の存在の根拠に結び付いていたのです。人間の思惟の重要性を考えれば、数学をコヘンが大切にすることは当然です。
 人間は、世界の根拠を知ろうと欲します。コヘンは、世界の根拠を人間の思惟において見出しています。そして、その人間の思惟は、数学的な論理形式を持っています。そのため、世界の根拠を知ることを望むのであれば、人間は数学を学ぶべきです。数学の法則の中に、人間は世界の根拠を見出すことができるのです。それは、人間の思惟が世界の根拠となっているからです。人間の思惟の法則は、数学的な論理形式です。人間の思惟は数学の法則に従っていると考えられます。そして、数学の法則に従った思惟が世界を産出しています。人間において現れる世界は、数学の法則に従った世界なのです。数学を勉強しなければ、世界の根拠を人間は知ることができないのです。コヘンは数学の持つ意義の大きさを訴えています。数学は、世界の根拠を理解するために必要な学問だったのです。一般の人は、数学を計算問題としてのみ考えています。しかし、数学を深く追求することによって、人間は世界の根拠をつかむ事ができるのです。
 コヘンによれば、人間の身の回りの自然現象は、人間の思惟の産物なのです。その人間の思惟が数学の法則に従っているのであれば、数学の大きな重要性は理解できるものです。人間の身の回りの自然現象であっても、数学の法則と密接に関わっていたのです。世界の自然現象は、数学の論理形式を持っているとコヘンは考えます。自然科学の法則は、時と場所によって変化することはありません。自然科学の法則は絶対的です。その法則の絶対性は、数学の論理形式の絶対性と同様のものです。数学の論理形式は、時と場所による変化がありません。数学の法則にも、自然科学の法則にも、絶対の永遠性があります。世界の絶対的な根拠を考えれば、数学の論理形式の永遠性をコヘンが尊重したことにも納得ができます。








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