木曜日
東洋の思想
『中庸』の「不怨天不尤人」について
木曜日は、東洋の思想です。今日は、『中庸』の「不怨天不尤人」について、考えます。『中庸』という書物は、『大学』に並ぶ、儒教の有名な書物です。
さて、この話は、つまり、自分の本分を守って、乱れた行動をとるな、という教えです。自分の役目を忠実に守っていなさい、ということです。自分の、立場、位置というものを、正しく認識するべきなのです。その自分の役目よりも、以上のことを狙ったり、以下のことを目指したりするべきではないということです。自分の役割を、正しく立派に果たしなさい、ということです。「立派に果たす」というのは、高望みをすることではありません。それは注意しなければなりません。自分の欲望を発揮して、今の現状の自分の役割以上のことを求めるべきではないわけです。自分の現状は、確かに、今よりももっと向上させたいと、人々は思うのです。自分の現在の地位よりも、もっと上の地位に行きたいと思うわけです。人々の多くが、現在の地位よりも上を狙っているものなのです。
しかし、現在よりも上の地位を求める気持ちに伴って、不満や、人を恨む気持ちも抱いたりするのです。現在の地位に不満を抱いているのです。心の中は欲求不満の感情で占められているのです。そのような不満の気持ちは、他人にも向けられたりします。「あの人が悪いのだ」とか思うのです。他人を恨むわけです。憎悪の感情です。現状よりも、上の地位を求める気持ちの裏には、憎悪の感情が伴っていたりするのです。
そして、では上の地位の人は、そのような憎悪の感情を持つことはないのでしょうか。そのような人は、すでに人々よりも上の地位にあるのです。他人を恨む気持ちなどはないのでしょうか。しかし、そのような、上の地位にある人は、自分の現在の環境や境遇を恨んだりするものなのです。「天を怨む」というものです。上の地位にある人でも、その現在の地位よりも、もっと上の地位を高望みしているのです。満足することなく、不満を抱いているのです。下の地位の時は他人を憎み、上の地位の時は環境を憎むのです。そのような人は、いつまでも自分の欲望が満たされることはありません。常に不満を抱き続けています。
そのような人というのは、つまり、心の問題があるわけです。依存心の問題です。自分の今の状況の悪さの原因を、自分以外の他のものにあると考えているのです。つまり、「自分は悪くはない」と考えているのです。そのような人は、依存心が強いのです。他人を恨んでいる余裕があるのなら、もっと努力すべきなのです。今の、現在自分が置かれている環境の中で、最大限の努力をすべきだということです。他人や環境を恨むことは、直ちにやめるべきなのです。それよりも、自分に現在与えられている任務を、忠実にこなすことです。それは、「自分を正しくしなさい」ということです。他人や環境の悪さのことを考えているよりも、自分のことを正しくするのです。修身です。自分の身の行いを正しくするのです。他人に自分の不満をぶつけないことです。社会環境に文句を言わないことです。自分の周囲のものを恨まないことです。自分に与えられた今の環境の中で、自分自身の行為をより良くしていくことです。
つまり、周囲のものに対して不満を抱くのではなく、自分自身に不満を抱くようにするのです。自分自身の能力の欠点に不満を抱き、反省するのです。そして、自分を見つめた上で、自分自身を向上させることに努めるのです。自分に現在与えられた環境の中で、自分の身を正しくするのです。そのような気持ちを抱くことができれば、自分の周囲の人や環境を、責めたり恨んだりすることはなくなるはずです。天や人への憎悪の感情も消えるはずです。そして、天や人に対する、不満の気持ちもないということであり、それはつまり、満足したということです。自分自身に対しては、確かに、不満の気持ちがあります。自分という人間に対しては、課題と反省点とが残っているものです。しかし、自分の周囲の環境に対しては、不満の気持ちは、ないのです。一つの悟りを開いたのです。「よし、これからは、自分の今の状況の中で、自分の力を尽くすのだ」という考えに変化したわけです。周囲の環境を変えるよりも、自分を変えようということです。周りに文句を言っていても仕方がないのです。それよりも、自分を向上させることに力を費やすのです。
それはまた、楽しみでもあるのです。楽しんで、自分を向上させなさい、ということです。憎悪と怒りの感情で、必死に自分自身を鍛える、というような努力では本物ではないのです。憎悪の感情で自分を鍛えているようでは、まだ、依存心が多く残っています。「環境は悪くはない、自分が悪い」と、口では言いながら、心では環境を恨んでいます。そのような心では、まだ小人の心持ちです。君子の心は、常に晴れているのです。憎悪の気持ちで努力する心は、曇りか雨の心です。ただ努力さえすれば、それで人間の向上があると考えるのも、素人の考えだということです。憎悪の気持ちで努力し続けていると、かえって悪い人間になりかねないのです。つまり、依存心の問題だというわけです。周囲に、見返りを要求するわけです。周囲のものから多くを得ようとしているのです。それでは、周囲の環境に不満を抱いていることと、大差はないのです。やはり、周囲の環境に不満を抱いているのです。
本当に正しい努力というものは、周囲に見返りを要求しない努力です。周囲から見返りを期待しない努力こそが、正しいのです。そしてまた、そのような努力を楽しむことができるようになれば本物です。環境や他人に憎悪や不満の気持ちを抱いているようでは、間違っているのです。環境を責めるのではなく、自分という人間を正すことに専念するのです。「周囲の環境さえ良くなれば、自分は幸せになれるのになあ」というような考えを改めることです。
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