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木曜日

東洋の思想




中国の宋時代について


 木曜日は、東洋の思想の日です。今日は、中国の宋時代について考えます。中国の宋の時代は、日本の平安時代と鎌倉時代の年代に当たります。
 中国の宋の時代では、儒教に新しい動きが見られます。儒教の学説の、新展開です。宋の時代には、儒教の解釈に新局面がありました。それが、宋の時代の特色です。儒教が時代の流れに対応する、ということです。
 中国の宋の時代の前には、唐の時代がありました。唐の時代は、中国にとっては外来の教えである、仏教が盛んでした。宋時代の前の、唐時代では、仏教が中国で勢力を持っていたのです。それらの時代は、儒教と道教と仏教とが、三つの大きな主流として、中国に存在していました。儒教と仏教とは、主張する内容に違いがあるように、人々に受け取られるのです。そこで、儒教と仏教との、どちらを信じるべきかが、人々の間で問題となるのです。人間には、儒教と仏教とを、両方信じて生活することが、現実問題として、困難なことなのです。儒教は儒教で、奥深い内容を持っています。そしてまた、仏教は仏教で、奥深い内容を持っています。現実的な人間の能力を考えれば、儒教か仏教か、どちらか一方の勉強をすることで精一杯なのです。儒教を深く勉強すれば、仏教を深く勉強できません。儒教も仏教も勉強すれば、どちらも表面的な理解をすることが限度です。教説の内容には、まとまりがあるわけです。まとまった教えを信じることで、内容を深く理解できるのです。様々な教えをばらばらに勉強しても、深い理解は得られません。儒教と仏教とでは、人生を生きる態度が異なっていると考えられるのです。儒教の人生の態度と、仏教の人生の態度とでは、生きる姿勢が異なるのです。そのため、儒教か仏教か、どちらか一方を選択しなければなりません。儒教の人生を生きるのか、それとも仏教の人生を生きるのか、選択をするのです。儒教と仏教とは、お互いに相容れないような内容です。一つの教説の体系で、完結しているのです。一つの教説で完結しているのであれば、他の教説を勉強する必要はありません。儒教も仏教も、力強いのです。他の教説に依存することなく、自分の教説の教えさえ守ることができれば、十分なのです。別の教説を、二つも三つも勉強する必要はない、と、それぞれが主張するわけです。そのため、仏教の勢力が盛大になれば、儒教の勢力は弱まるものです。仏教の教説さえ信じることができれば、儒教の教説は重要ではないと考えられるのです。そして、中国の唐の時代では、仏教の勢力が盛大だったのです。そのため、唐の時代は、仏教の勢力が強い反面、儒教の勢力は弱いものでした。儒教と仏教とが、唐の時代では反発し合うのです。
 それは、儒教と仏教との、交流の問題です。最初は、儒教は儒教で、そして、仏教は仏教で、分かれて存在していました。原始儒教と、原始仏教とが、それぞれ存在していたのです。そして、それぞれ、独自の個性を持つわけです。独自の個性を持つため、頑固な部分があるのです。自己の主張を譲らないのです。それぞれが、強い自己主張をするわけです。そのため、強い自己主張をする者同士が接触すれば、両者は反発し合うのです。そのため、一つの国の中で、原始仏教が盛大になれば、原始儒教は勢力を弱めることになるのです。強い主張をする者同士が集まれば、互いに、他者を排斥し合うのです。中国の唐の時代では、儒教と仏教との交流の問題が解決されていなかったのです。儒教も仏教も、自己主張が激しい時代だったのです。
 しかし、中国にとっては外来の、仏教の教説は、時代を経るにつれ、人々の間に根付き、そして人々の理解を得るようになったのです。中国の多くの人々に、仏教が広く普及したのです。仏教の理解が進んだのです。そのため、儒教を信じる人々の、仏教への抵抗感が薄らぐのです。儒教を信じる人であっても、仏教の勉強をすることに対する抵抗感が弱まるのです。逆に、仏教を信じる人々も、儒教の研究をするわけです。自己主張の激しい原始儒教と原始仏教とが、相互に交流をし始めるのです。儒教側の人々も、仏教側の人々も、相手側の教説を取り入れ、そして、自分の信じる教説を、発展させる考えです。自分の信じる教説の主張が、唯一絶対に正しい教説である、という頑固な姿勢を改めるのです。そして、相手の主義主張を認め合うのです。今までは、儒教は仏教を、そして仏教は儒教を排斥し合っていました。自分の主張は正しくて、相手の主張は間違っていると考えていました。それぞれが、相手の主張に聞く耳を持たない態度でした。しかし、時代を経ることで、相手の主張の中にも、正しい部分が含まれているのではないかと、考えるようになったのです。自分の側の教説が、絶対に正しい教えである、という信念は揺らぎません。しかし、相手の教説の中にも、正しい部分が多く含まれていると考えるのです。
 つまり、原始儒教と原始仏教とが関わり合い、それぞれの教説を変化させるのです。問題は、どのように、教説を変化させるのか、です。基本的には、自分側の主張を譲ってはなりません。自分側の主張を相手側に全部譲れば、自分側の存在意義を失ってしまいます。儒教を信じるのであれば、儒教の主張を守りながら、相手の主張を取り入れることが大切です。儒教が仏教を取り入れるのであれば、原始儒教の良さを保存しなければなりません。取り入れ方を間違えれば、改良ではなく、改悪になる場合があります。
 中国の宋時代では、儒教が時代の流れに対応するわけです。宋時代は、原始儒教の形では、人々には受け入れられない時代だったのです。仏教と道教との、二つの勢力が強かったのです。仏教と道教とは、お互い、それほど表面的には反発し合いません。しかし、儒教は、仏教と道教との、二つの教えと、強く反発する部分があります。確かに、仏教側からすれば、儒教を反発することはありません。しかし、儒教側からすれば、仏教の態度を反発するのです。そのため、儒教は、一つの教団で二つの教団を相手にするような形です。問題は、儒教がどこまで相手の主張に譲歩するのか、です。儒教が大きく譲歩すれば、儒教の独自の個性を失ってしまいます。しかし、頑固な儒教では、人々の支持を得ることができず、人々の儒教離れを促進させます。儒教は儒教で、その存在意義を保ち続けながら、仏教と道教の良さを、儒教に取り入れるのです。宋時代は、原始儒教の新解釈の必要性のある時代でした。
 宋時代は、人々の儒教離れを防ぐことが、儒教側の課題だったのです。原始儒教の姿のままで、多くの人々が儒教を信じているのならば、原始儒教を変化させる必要はありません。仏教と道教とを取り入れて、儒教を発展させるには、大変な労力が必要です。既に完成した儒教を、人々に押し付けることができれば、儒教の学者も手間がかからないのかもしれません。しかし、強引な手段によって、人々を儒教の側に引き寄せることはできません。大変な労力が必要になるのかもしれませんが、しかし、儒教を改良させるのです。仏教と道教とが流行する時代であれば、儒教も、その時代に合った教説を考え出さなければなりません。そして、その結果、宋時代には儒教の新解釈が進められるのです。新解釈が進めば、儒教の勢力も増大することになります。原始儒教の姿を守るだけでは、人々の理解を得られないのです。時代に対応する、新解釈も必要なのです。








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