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木曜日

東洋の思想




中国の春秋戦国時代について


 木曜日は、東洋の思想の日です。今日は、中国の春秋戦国時代について考えます。中国の春秋戦国時代は、日本では、縄文時代と弥生時代の年代に当たります。
 中国の春秋戦国時代は、周の時代であると考えられます。それは、形の上でだけ、周が中国を統一している状態である、ということです。しかし、実質的には、周の国は中国全体を統一していませんでした。つまり、春秋戦国時代は、周の時代の、周の支配力が衰微した時代である、ということです。周の時代の後半が、春秋戦国時代なのです。周の国は、形式的には、正統な中国全土の支配国でした。しかし、周以外の様々な国が、互いに争い合っていたのです。春秋戦国時代は、中国全土を統一できるだけの、大国がありませんでした。そのために、国内の情勢が不安定でした。周の国には、実質的な力がありませんでした。周の国に力があれば、中国全土は、周の中央集権国家として安定した国となります。周の国が信頼できる国であれば、国民には国への不安はありません。その状態は、国民が自国に安心して生活することのできる状態です。しかし、中央集権国家として、春秋戦国時代は安定していませんでした。周の国に支配力があれば、問題ないのですが、しかし、周の国には支配力がありませんでした。
 そのため、春秋戦国時代を生きる人々の不安は大きなものでした。春秋戦国時代は、混乱の時代だったのです。人々が、生活に不安を感じていたのです。自分の住む国が信頼できない状態であるため、当然、人々は不安を抱くものと考えられます。民衆が苦しんでいたのです。民衆が苦しんでいる場合は、人間として、何か対応をとるものです。民衆が苦しんでいる状態であることは、間違いありません。誰が見ても、民衆は苦しんでいると、感じることができます。その部分では、誰もが、共通した感想を持つのです。しかし、人によって、時代への対応が異なるのです。時代の背景と、時代に不安の感想を持つことは、全員に共通する事柄です。春秋戦国時代は、混乱した世の中であるという、人々の感じ方の部分までは共通しているのです。しかし、時代への感想は共通していたとしても、人によって、対応の仕方が異なるのです。その、対応の違いによって、個性が表れるのです。民衆の苦しむ、時代の背景は共通しています。しかし、人間には、人それぞれに個性があるので、共通の時代背景の中で、人それぞれで、異なった対応をとるのです。中国の春秋戦国時代は、混乱の時代である反面、中国人の個性が表れた時代なのです。国と民衆の、混乱の時代の中で、人間の個性が発揮されたのです。
 まず、国内の、不安定な状況の時代背景は、全員に共通しています。問題は、どのような対応をとるのか、です。誰もが、不安定な生活は避けたいと思うものです。そして、誰もが、幸福な時代を生きたいと願うものです。しかし、その望みが、達成されない時代なのです。民衆が苦しむ時代の背景の中で、人々の誰もが、幸福な生活を望んでいます。時代は混乱の世の中です。その世の中で、人々は幸福を求めるのです。人それぞれ、幸福を求める、手段が異なるわけです。幸福の追求の手段が人によって異なるのです。その差異によって、人間の個性も様々に表れるのです。
 中国の春秋戦国時代の中で、個性的に活躍した有名人物は、数多いものです。それらの人物は、行動が異なっているわけです。そして、それらの人物の抱く、目標や目的意識も異なっていると考えられます。しかし、春秋戦国時代で活躍した個性的人物たちは、根本的には、同じ目標を抱いていたと考えられるのです。表面的に見れば、個性的人物の抱く目標は、人それぞれで異なっています。個性的人物の主張は、それぞれ異なるものです。しかし、個性的人物の生きていた時代は、共通しています。そして、その時代は、民衆に苦しみをもたらす時代であったのです。そのため、春秋戦国時代の中で活躍した人物は、全員が、時代を批判する態度を持っていたのです。それらの個性的人物たちは、民衆の、幸福な生活を実現させることを目標として心に抱いていたのです。それらの人物たちの根本的な目標は、混乱した時代の中に、平和をもたらそうとするものです。
 しかし、平和な時代を作ることを目標に考えていたとしても、人それぞれに、個性的な態度が見られます。人民救済の目標は共通しています。問題は、どのように人民救済の目標を達成するのか、です。個性的人物の主義主張は、異なっているものです。現代の政治家であっても、人民救済の目標は、全員に共通しています。しかし、政治家によって、主義主張が異なります。民衆の苦しみを取り除くことが、政治家の根本的な目標です。政治家の抱く目標の根本は、多くの民衆の幸福な生活の実現です。その目標は、どの政治家であっても、共通した願いなのです。平和な時代を、どの政治家も願っているのです。民衆の苦しむ姿は、見たいものではありません。苦しむ民衆を、政治家は、心の底では助けたいと思っています。問題は、どのように、民衆の苦しみを取り除くべきであるのか、です。
 春秋戦国時代の中で活躍した人物は、大きく分ければ、政治家と、道徳家とに分けられます。まず、政治家として活躍した人物は、野心のようなものを抱いています。混乱した時代の中で、国の支配者となることを望むのです。天下統一の野望を抱いているのです。乱世の中で、自分の政治的手腕を発揮させようと考えています。そのような政治家であっても、心の底では、人民救済の目標があるわけです。国を統一して、安定した国作りを目標としています。安定した国作りをすれば、人々の、生活への不安が軽減されます。そして、道徳家の場合は、国の政治家としての身分を持たない人物です。道徳家は、国の役人ではないのです。道徳家は、国からの命令を受け付ける義務を背負っていないのです。しかし、道徳家は、国の仕事としての義務は背負っていないのにも関わらず、国と民衆の幸福のことを考えるのです。
 春秋戦国時代の中で活躍した政治家たちは、政治政策の主張の内容によって、それぞれ、個性的な差異があります。ある政治家は、農業重視政策を主張します。また、ある政治家は、法律重視政策を主張します。そしてまた、ある政治家は、外交問題を重視する政策を提唱します。政治家によって、担当する分野が異なるのです。それぞれの政治家が、自分の得意な分野で国政に参加するのです。
 そして、春秋戦国時代に活躍した道徳家たちは、主張の内容が、積極的か、それとも消極的であるのかによって、大まかに分けることができます。積極的な道徳家は、社会へ参加する意欲があります。そして、消極的な道徳家は、社会へ参加する意欲がありません。積極的な道徳家の場合は、社会や国の政治に参加することによって、国内情勢を改善させようとします。積極的な道徳家は、混乱した時代の社会の中へ、参加した上で、活躍するのです。そして、消極的な道徳家の場合は、社会参加を否定することによって、国内情勢を改善させることを試みるのです。消極的な道徳家の場合は、混乱した時代を作り出した人間たちを、批判しているのです。そのため、消極的な道徳家は、現状以上に時代の混乱を大きくしないように、社会へ参加することを避けるのです。積極的な道徳家であっても、消極的な道徳家であっても、民衆を救済することを目標に抱いています。しかし、それぞれの立場によって、手段が異なるのです。表面的な主義主張は異なっているようでも、根本的には、彼らは時代を良くすることを考えています。








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