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木曜日

東洋の思想




中国の六朝時代について


 木曜日は、東洋の思想の日です。今日は、中国の六朝時代について考えます。中国の六朝時代は、日本で「大化の改新」が起こった時代よりも、以前の時代です。「大化の改新」が日本で起こった時代は、中国では唐の時代です。唐の時代よりも、前の時代が、六朝時代です。中国の六朝時代の頃は、日本では奈良時代でもありません。
 中国の六朝時代では、道教と仏教とが流行した、という話です。中国の人々が古くから信じる教えは、儒教と道教とであるわけです。中国における、古くからある正統の教えは、儒教であったのです。そして、道教も、多くの人々の間に広まっていました。儒教と道教とは、中国内で発生した教えです。仏教は、中国人にとっては、外国の教えということです。中国では古くから、儒教と道教とが、中国の人々の間に根付いていたのです。そして、中国の六朝時代では、中国人にとっては外来の教えである、仏教も、中国の人々の間で流行する様子だったのです。それまでは、儒教と道教との教えを勉強していた中国人が、外来の仏教も勉強する時代となったのです。
 古くから、中国の人々の間で伝わる学問には、大きく分けて、二つの系統があるわけです。二つの系統というものは、つまり、与党と野党との違いです。儒教が与党であり、そして、道教は野党だったのです。儒教を勉強する人は、与党の人生を生きる人です。そして、道教を勉強する人は、野党の人生を生きる人なのです。人間の好みも、それぞれの人によって、異なっているのです。全員が儒教の教えを守る世の中では、息苦しい世の中になるものです。人生を儒教の教えで生きる人もいれば、道教の教えで生きる人もいるのです。儒教と道教とでは、教える内容に性質の違いがあるのです。どちらも、人間の生きるべき道を説いていることは共通しています。儒教には儒教の理想の生き方があり、そして、道教には道教の理想の生き方が考えられています。人間もそれぞれ、各自で異なる人生を歩むものです。多くの人々が存在すれば、その存在する人々の人数だけ、様々な生き方があるわけです。様々な生き方があるのは、人それぞれによって、持っている考え方に、様々な違いがあるからです。人それぞれに、異なった人生論を持つのです。それが原因となって、学問の系統を二つに分けるのです。大きく分ければ、人間の生き方には二種類ある、ということです。その、大きく分けて二種類ある生き方を参考にして、各自の好みで、調整を図るのです。人それぞれの考え方と好みとによって、大きく分けて二種類ある生き方から、取り入れるものは取り入れて、反対に、自分に合わないものは除外するのです。
 しかし、それらの二種類は、多くの人々から、対等関係にあるものとは認められていません。儒教の人生と、道教の人生と、どちらかの人生を選ぶのなら、儒教の人生が推薦されるのです。できれば、道教よりも、儒教を勉強するべきであると、多くの人々が考えているのです。それは、儒教が、社会制度を大切に考えるからです。儒教は、人間を、社会制度に合わせて生きるように教えるので、多くの人々の支持を得るのです。道教は、社会制度から外れた生き方を考えるので、人々から支持を集められないのです。つまり、儒教と道教との主な違いは、その教えが、社会制度を守るべきであると、考えるかどうかなのです。儒教が中国で古くから、正統の教えであるとされたのも当然のことです。中国社会では、表向きには、道教よりも、儒教の教えを正統であると承認するのです。社会の秩序を乱さず、国の国王と大臣とを尊敬して、そして家族を大切にして、自分の社会的身分を忠実に守りながら、人間は生きるべきなのです。儒教は社会の秩序を守るのです。儒教が流行する社会であれば、人々の安定した生活を期待することができるのです。
 それが、中国の六朝時代になり、道教と仏教とが流行するのです。道教と仏教は、儒教と比較すると、社会制度をあまり重要視しない教えに分類されます。社会の秩序の維持に対しては、道教と仏教は、それを人間の大きな問題であるとは考えないのです。道教と仏教は、人間を幸福にするかどうかを基準にして問題を考えるのです。人間が幸福に生きられれば、社会の秩序を守ることに関しては、特に重要であるとは考えないわけです。そのような教えの道教と仏教とが、六朝時代に流行するのです。道教は、古くから、中国に儒教と共に根付いていました。そして、六朝時代には、仏教まで流行する世の中となったのです。仏教も道教も、学問の二系統で分類すれば、儒教とは異なる系統の学問であると考えられます。六朝時代には、それまでの正統な学問であった儒教は、人々から、どのような位置付けをされるようになったのでしょうか。なぜ、六朝時代には、社会秩序を重要視しない、道教と仏教とが、人々の間で盛んに流行するようになったのでしょうか。何か理由があるのでしょうか。
 中国の六朝時代は、国が分裂していたのです。中国は、北朝と南朝とに分かれ、そして、国が六つぐらい存在していたのです。中国の天下が統一されていなかったのです。六朝時代の前には、三国時代もあったのです。六朝時代の中国は、安定した社会が続く世の中ではなかったのです。六朝時代の、時代背景があるわけです。中国は、六朝の国に分かれていたのです。
 つまり、人々の間には、政治に対する不信感が募っていたと考えられるのです。人々が、社会制度を信用しない時代であったのです。法律制度や、身分制度などの、社会の秩序を、人々が信用しないのです。国と国との戦争が起これば、社会秩序は、すぐに破壊されるものであると、人々は思うわけです。すぐに破壊されてしまうような、社会秩序を、絶対的な価値あるものとして、人々は信用できないのです。つまり、自分を幸福にするものは、社会秩序ではない、という人々の感情です。いくら社会秩序を追い求めたとしても、社会秩序は自分を幸福にする存在ではない、と人々が思う時代だったのです。社会の安定に対する、世間の人々の期待感が低下していたのです。そのために、人々の儒教への信用度も、低下していたのです。社会秩序が信用できなければ、儒教の教えも、信じて守る気分にはなれない、と人々は思うのです。
 つまり、社会が動揺している時代の中では、人々の信仰する宗教も、変化すると考えられるのです。人々の信仰する宗教が変化する原因は、人々の人生観が変化するからです。社会の変化が、人々の人生観と、人々の信仰する宗教とを変化させるのです。社会制度が信用できない時代となれば、社会制度を必要とすることなく、人間を幸福にする宗教が流行するのです。中国も、国が六朝時代にもなれば、将来の社会の変化を予測できない時代となるのです。中国の天下が統一されれば、安定した社会が訪れて、その結果、人々の、社会制度に対する信用度も上昇します。そして、社会制度に対する人々の信用度が上昇すれば、人々も、社会制度を守るべきであると、考えるようになります。そのような、社会の秩序を守るべきであるという、人々の思いが、人々に儒教の教えを守らせる原動力となるのです。社会制度に不安を抱かせる世の中では、道教と仏教とが、人々の間で必要とされるのです。








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