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金曜日

西洋の倫理・道徳




アベラールの「弁証学」について


 金曜日は、西洋の倫理・道徳の日です。今日の題は、アベラールの「弁証学」について、です。アベラールは、中世の西洋で活躍した神学者です。
 アベラールは、キリスト教の信者であった人物です。アベラールは、キリスト教の信者でありながら、議論を好む人物でした。アベラールは、機敏な頭脳の持ち主だったのです。アベラールは、知的能力に優れていたのです。宗教を信仰する人物の中には、自分の知的能力を活動させない人物もいます。宗教を盲信する結果、知能の使用を停止させるのです。しかし、アベラールの場合は、キリスト教を深く信仰しながら、優れた知的活動を行っていたのです。アベラールは教師でした。そして、教師としてのアベラールは、人々から非常に人気を集めていました。アベラールは人気者だったのです。人気者であった理由としては、アベラールがキリスト教の道徳を持ちながら、知的な能力に優れていた点を考えることができます。
 アベラールは論理学を勉強しています。論理学を勉強することによって、人間は知的能力を高めることができます。そしてまた、アベラールは、キリスト教を勉強しています。キリスト教には、高い道徳性があります。キリスト教を勉強することによって、人間は豊かな心を養うことができます。その態度を、人々はアベラールから学ぶべきです。人間は、知的な能力と、豊かな心と、その両方を持つべきなのです。人間は、知能を高めながら、道徳の心を深くすることに努めれば、人々の間で人気者となることができるのです。人気者の人物は、人々の間で、人望の厚い人物です。人気者は、人々から多大な信頼を集めているのです。人々の間で人気者となるためには、知能と道徳心との、両方が必要なのです。アベラールは、論理学と、キリスト教を勉強しています。そのため、アベラールの知能と道徳心は、凡人以上のものだったのです。アベラールの人気は、アベラールの日々の努力の結果だったのです。アベラールの人気の原因は、運が良かったからではありません。人々から人気を得るためには、運に頼るべきではありません。人気は、努力で獲得しなければなりません。努力を行わないような人物には、人々は信頼を寄せることがありません。アベラールは、特に恵まれた環境の中で人生を送っていたのではありません。アベラールの人生には、悲運な時期が多くあります。しかし、アベラールは、生涯、人気者の教師として活躍していました。それは、アベラールの人気が、彼自身の努力の結果であることを証明するものです。アベラールの運は、良くはなかったのです。しかし、運が悪いのにも関わらず、アベラールは人気者となっています。運が悪いままに流される人物では、人々から人気を集めることができません。運に左右されながら生きる人物には、信頼感がありません。人々の信頼を得るためには、悲運を乗り越える必要があります。悲運を乗り越えるような人物であれば、人々は大きな信頼を寄せることになります。つまり、アベラールは、自分の悲運に流されずに、努力を行ったので、人々から多大の人気を得ることになったのです。
 アベラールの人気の原因には、彼に高い虚栄心があったことも考えられます。その部分には、注意しなければなりません。その虚栄心の高さは、アベラールの知的能力の高さと結び付きがあるのかもしれません。アベラールの優れた知的能力が、高い虚栄心を引き出したのです。アベラールは、議論や論争を好む性格でした。それは、アベラールの、議論に対する情熱的な態度です。その情熱的な態度に対して、周りの人々が、アベラールに魅力を感じた部分もあります。アベラールは、自分の議論に自信があったのです。そして、実際にアベラールは有能な人物でした。アベラールは、中世の時代の中で、名実ともに兼ね備えた人物だったのです。アベラールは、人気だけでなく、実力もありました。そのため、教師としてのアベラールの評判が高かったことも、当然のことです。しかし、アベラールは、人気と実力を兼ね備えながら、高い虚栄心も持っていたのです。その部分にも注意しながら、人々はアベラールに学ぶべきです。
 実力を持つ人物には、虚栄心の高い場合があります。アベラールの場合は、知的能力において、実際に高い能力を持っていました。学界で活躍するためには、高い知的能力が必要です。アベラールは高い知的能力を持っていたので、学界で活躍できる実力を充分に備えています。人間の精神能力は、主に二種類に分けられます。それは、知能と感情です。多くの場合、感情の能力には、人々の間で優劣をつけられません。人間の感情に対しては、価値の高低を考えられません。しかし、人間は、知能の能力に対して、価値の高低を考えるものです。人間の知能の能力は、人々の間で、競争の対象となるのです。人間の知能の能力には、人々は、他人と比較して、優劣を考えるのです。そのため、知能の能力において優れた人物は、自分の能力に対して、おごり高ぶることになる場合があります。感情の能力において優れた人物では、おごり高ぶることは少ないものです。知能において優れていると、人間は、おごり高ぶることが多いのです。それは、知能の場合は、他人と比較しやすいからであるのかもしれません。感情の場合は、他人と比較することが難しいのです。また、知能が高ければ、議論をすることができます。知能は、議論と結び付いています。議論では、人間の知的な能力が必要とされます。議論では、感情的な態度を入れないことが一般的です。そして、感情的な態度を入れないで、議論では、相手と論争することが目的となります。知的な能力は、他人と論争する能力でもあるのです。いくら感情的には豊かな心を持っていたとしても、知的な能力がなければ、人間は議論の場には出られません。つまり、知的な能力は、議論の能力と結び付いているのです。議論では、他人との間で、優劣が決定されるものです。知的な能力を持って議論の場に出れば、他人との優劣が問題となります。知的能力は、競争の道具にも使われるのです。
 その部分を、アベラールの事例から人々は学ぶべきです。知的な能力は、虚栄心を持つことにつながる場合があるわけです。知的な能力は、大変素晴らしい能力です。知的な能力は悪くありません。人間は、知的な能力を大いに発達させるべきです。しかし、知的な能力は、虚栄心と結び付く危険性があります。ぜひとも、人間の知的な能力を、有効活用するべきです。人間の知的な能力は、価値あることに使用されるべきです。知的な能力を価値あることに使う人物が、真に人々から信頼を受ける人物です。自分の虚栄心を満足させるために、知的な能力を使うべきではありません。知的な能力を、いかに使うべきかを考える必要があります。自分の知的な能力を、周囲に誇示するべきではありません。人気者となることを目的として、自分の知的能力を使うべきではありません。人気者となることは、知的能力を価値あることに使用した結果として付くものです。人気者となること自体を目的としてはなりません。知的能力を使用する場合の、動機に人々は注意するべきなのです。動機が不純であれば、悪い結果を生み出します。
 しかしまた、さらにアベラールから人々は学ぶべきです。アベラールは、論理学とキリスト教を勉強して、高い知能と、高い道徳心とを持っていたのです。そのため、アベラールにも、「人間は虚栄心を満足させるために議論するべきではない」ということを、十分理解していたはずです。しかし、それにも関わらず、アベラールは虚栄心を満足させるための、論争を好んでいたのです。アベラールは、議論がやめられなかったのです。彼が議論をやめられなかった理由は、彼が高い知能を持っていたからです。つまり、アベラールほどの優秀な人物であっても、知的能力によって、虚栄心を求めてしまうのです。知的能力は人間にとって価値ある能力なのですが、しかしその使い方に人々は注意すべきです。








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